出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00FW5I0FK/?tag=cinema-notes-22
1990年に公開の『レナードの朝(原題:Awakenings)』は、神経科医オリヴァー・サックスの医療ノンフィクションが原作です。
主演の二人、ロバート・デ・ニーロとロビン・ウィリアムズの素晴らしい演技は大いなる感動を呼びました。
監督は『ビッグ』や『プリティー・リーグ』『天使の贈り物』など、感動作を得意とするペニー・マーシャルです。
第63回のアカデミー賞において作品賞、主演男優賞(ロバート・デ・ニーロ)、脚色賞の3部門でノミネートされました。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/レナードの朝
残念ながら受賞は逃してしまいましたが、多くの人に感動を与えた素晴らしい作品です。
なぜ『レナードの朝』が人々の心を動かしたのかを考察していきましょう。
「レナードの朝」とは
この作品の原題は『Awakenings』です。
この題は、様々な登場人物が様々な『目覚め』を経験し変わっていくことを表現しています。
邦題である『レナードの朝』は、30年間の長い眠りから覚めたレナードが迎えた朝のことです。
そして、レナードが目覚めることに因って周りの人達に起こる「変化(覚醒)の始まり」を示しています。
『球の意志』とは
レナードよりも長く病院にいるルーシーが、落とした眼鏡をキャッチしたことを目撃した瞬間からセイヤーの変化は始まります。
セイヤーと他の医師たちの違い
この大発見を知らせようとしたパフォーマンスで、ルーシーはまたしても無意識でテニスボールをキャッチしました。
しかし他の医師たちは驚きません。
これは、セイヤーが優秀な医師だったからの発見ではなく、経験が浅いからこその発見だったことを示しています。
他の医師が「ただの反射」で終わらせことを、セイヤーは「反射できる」と受け止めました。
それを説明したくて出た言葉が「球の意志を借りた」です。
反射行動か意志か
ルーシーの『キャッチ』は、他の医師たちが言うようにありふれた「反射行動」なのでしょうか。
しかし「跳ねのけたのではなく受け止めた」という意志だったかもしれません。
当然、医師たちは無意識の患者が意志を持つはずはないと否定します。
それに同意できないセイヤーが言ったセリフがこの映画の核です。
行動する意志を失って、球の意志を借りたのです
引用:レナードの朝/配給会社:コロムビア・トライスター映画
この一見意味不明な「球の意志」とは何でしょうか。
エレノアの変化
セイヤーの言葉にあきれる医師たちの行動は、当然のことのように感じさせます。
しかし看護師のエレノアだけはセイヤーを信じようとしました。
これは同情でしょうか、それとも共感なのでしょうか。
それは、患者たちが特定の音楽に反応したりエレノアの介助で歩行できたりするシーンで明らかになります。
球ではなく、私という他人の意志を借りて歩いているのです
引用:レナードの朝/配給会社:コロムビア・トライスター映画
理解し共感していたのです。
これはエレノアが今までの仕事に満足していなかったからこその共感でした。
球の意志の真意
テニスボールや音楽、エレノアの介助によって変わっていく患者たちを見て、セイヤーは気づきます。
それは、「彼らには意志がないのではなく意志を表に出せないのだ」というものでした。
目覚めるきっかけ
最初の一歩を踏み出すきっかけさえ与えれば、患者たちの意志は眠りから覚めるのです。
そのきっかけを「球の意志」と表現しました。
でも実は、他にも隠されたメッセージがあるのです。
『Ball(球)』に隠されたもう一つの意味
英語の『Ball』には『球』以外にも『舞踏会』という意味があります。
言うまでもなく『舞踏会=ダンス』はこの作品にとって重要な要素です。
監督はこっそり『Ball』という言葉が持つ二つの意味を布石として使っています。
全ての始まりは「テニスボール」からで、ラストシーンが「ボールダンス」なのです。
粋な演出ですね。
1969年の世界
この映画の時代設定は1969年です。
意識が戻ったレナードがセイヤーと共に街へ出かけます。
30年も眠っていた(遠い所へ行っていた)レナードにはすべてが新鮮で感動の連続です。
41歳になったレナードが見せる少年のような笑顔が印象的でした。
この映画が公開された時、レナード役のロバート・デ・ニーロは47歳です。
47歳の彼が、11歳の少年の笑顔で笑う演技は絶賛するしかありません。
ミラクルな出来事
レナードをはじめとする嗜眠性脳炎の患者たちが目覚めたことは、まさにミラクルです。
ミラクルと言えば、1969年にはもう一つのミラクルが実際に起きています。