レナードに出会い心を通わせることで目覚めていくのです。
ポーラにとっての球はレナードであり「ポーラの朝」はレナードとの別れでした。
なぜエレノアをコーヒーに誘ったのか
エレノアがセイヤーをコーヒーに誘いましたが、人として未熟なセイヤーは断ります。
意識的に避けている描写は後のシーンの伏線です。
ポラロイドに写る笑顔
患者たちが元の状態に戻ってしまった後、罪の意識さえ感じているセイヤーが帰宅するエレノアを呼び止めました。
なぜセイヤーはエレノアを呼び止めたのでしょう。
それは、ファイルに挟まっていたレナードのポラロイド写真を見たからです。
純真な気持ちとは
目覚めたばかりのレナードは写真の中で笑っていました。
そしてセイヤーに「純真な気持ちを忘れるなよ」と語りかけます。
レナードの言葉は、セイヤーの心を救いました。
まるで「大丈夫だ」と言われたような気持になったセイヤーが思い出したのはエレノアなのです。
いつも「大丈夫よ」というように支えてくれたのがエレノアでした。
純真にお礼を言わなくてはと思ったのでしょう。
ポーラに別れを告げたレナード
長い眠りから目覚めたレナードは思春期のままでした。
ポーラはレナードの初恋の人です。
しかし、薬の効果が薄れてきて痙攣が起きるようになりレナードは彼女に別れを告げました。
なぜ大好きな彼女に別れを切り出したのでしょう。
自分の運命を受け入れたレナード
レナードは心の底からポーラのことが好きでした。
でも、自分はまた遠くに行ってしまうのだと運命を受け入れます。
好きだからこそ、言えるうちに自分の言葉で別れを告げなければならないと考えたのです。
Ballに込められたもう一つの意味
「君に会えると気分がいい」「君と会うのはこれっきりに。これでさよならだ」
引用:レナードの朝/配給会社:コロムビア・トライスター映画
精一杯の告白と精一杯の別れをレナードは一度に経験しました。
切ないシーンで観客の涙を誘います。
そんなレナードにポーラも精一杯の愛をプレゼントしました。
彼女は、震えながら握手をするレナードの手を腰に回させてダンスを踊り始めます。
ここでBallの二つ目の意味が浮かんでくるのです。
誰もが心動かされ泣きながらも微笑んでしまう演出でした。
レナードの人生
レナードは去っていくポーラを窓越しに見つめます。
眠っている間も絶対に忘れないよう目に焼き付けていたのでしょうか。
自分はまた遠くへ行ってしまう運命です。
生きているポーラは、窓の外で未来を生きていかなくてはなりません。
そこはレナードが憧れ続けた自由の世界です。
レナードは別れを告げることで、ポーラを窓の外=未来に開放したのでしょう。
人生は自由で素晴らしい!
この映画で監督が伝えたかったことは何でしょうか。
それは目覚めたレナードが新聞を見て言った言葉に込められています。
みな悪いニュースばかり出てる。生きることの素晴らしさを忘れている。人生は喜びだ。尊い贈り物だ。人生は自由で素晴らしい
引用:レナードの朝/配給会社:コロムビア・トライスター映画
悪いニュースの方ばかり気にしている現代人に投げかけた言葉です。
命の尊厳
レナードのこの言葉は、人間本来の喜びは「命」があることだと思い出させます。
自由を得たはずのレナードが自由を失っていくことは、人間である証を『病気』によって失うことです。
それは彼にとって「死」と同義でした。
彼は医者たちに、意識が無くても人間なんだと主張します。
意識が表に出ないだけで、生きている人間だと伝えました。
そう、レナードもセイヤーも、そして我々も人間ですね。
様々な病気によって意思の疎通ができなくなっても人間なのです。