市子の無念がクラクションの長押しに映し出されました。
基子に対する復讐が不発に終わった時
市子の復讐が失敗に終わったのは、基子が自分のことを好きだったことが原因でした。
怒りの感情の矛先を失った市子。
基子には市子の復讐心がわかっていません。
基子の愛情が市子に伝わらなかったように、市子の思いもまた基子に通じなかったのです。
通いあわない思いほど切ないものはありません。
長いクラクションの示すもの
基子に向かってアクセルが踏めなかった市子。
基子に危害を加えることのない市子のささやかな復讐は、クラクションの長押しで終焉を迎えます。
長いクラクションには、市子のさまざまな思いが複雑に絡み合っていました。
基子に復讐できなかった悔しさは当然あったでしょう。
介護士になる夢をかなえた基子の姿に、過去の自分を重ねて嫉妬したかもしれません。
クラクションを鳴らしながら、新しい人生を歩いていくことを基子に宣言しているようでもありました。
辰男を更生させることが世間に対するささやかな復讐
身元引受人として辰男を迎える市子。自分が世間からの偏見を受けてすべてを失った元凶が辰男の犯罪でした。
それでも市子が辰男の更生に協力する理由は、唯一の身内であるというだけではなかったと思われます。
市子は、辰男が更生して社会で生きていくことが、いずれはマスコミや世間への復讐になると考えたのではないでしょうか。
時間がかかっても、社会的な家族の信頼を取り戻すには、辰男の更生が必要です。
同時に市子自身の再生にもつながると考えたと思われます。自分の再生を辰男の更生に賭けたのです。
もちろん世間は市子の復讐心など眼中にありません。これも市子のささやかな復讐なのです。
まとめ「よこがお」の意味
加害者の家族として世間から攻撃され、加害者が被害者になる不条理を経験した市子。
ささやかな復讐は現実には実行できませんでしたが、自分の心の中で気持ちの整理はできたようです。
タイトルの「よこがお」について考えてみました。
片方のよこがおが見えている時は裏の顔は見えません。また、自分のよこがおは自分で見ることができないのです。
この映画のタイトルは、人の見えていない裏の部分に本心が隠れていることを示唆していると思われます。
目に見えない裏の顔には、思いもよらない行動にでる人間の恐怖が潜んでいるのです。