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親を亡くしたのに泣けない人間はゾンビなのだろうか…。
そんな苦悩を抱く4人の子供がバンドを始めて大人に翻弄され、人生の選択に迫られる映画「WE ARE LITTLE ZOMBIES」。
ラストは夢オチなのか?と驚いた人も多いはず。
ポップさやゲーム要素を盛り込みつつ重いテーマを投げかけるこの作品の注目ポイントを見ていきます。
今回は、人生を続けるのか終わらせるのか、ヒカリが選択した答えに隠された意味を考察。
そして幻想が人生にもたらした影響や目覚めた草原の真意にもフォーカスしていきます。
車がぶつかった意味
親が死ぬ前に行く予定だった場所。そこに行ってみようと思い立ったヒカリたちは、途中で車がぶつかってしまいます。
この事故には何か特別な意味があるのでしょうか。
大人の壁
13歳という思春期真っ只中には、子供から大人への成長を遂げるための苦悩や葛藤があります。その過程の中で親にキツく当たったり心配させたり。
自己表現が上手くできない苛立ちを、多くの人が経験しているのではないでしょうか。
そんな多感な4人が揃いもそろってぶち当たるものとは、やはり大人になるための分厚い壁だと思われます。
過去を客観視
事故のショックで人生が走馬灯のように映ったヒカリ。自分の人生が過去のものになる瞬間を見たのではないでしょうか。
終わったことを振り返るチャンスを与えられたといってもいいかもしれません。
しかも車自体も何かの比喩である可能性があります。
例えば車は頑丈で、乗る人を安全に目的地に届ける役目を果たす乗り物です。
これを思春期の4人が車に乗っていた意味と重ね合わせると、2つの解釈ができます。
保護者のメタファー
車が何らかのメタファーだとすると、1つ目は保護者を表していると解釈できます。
大きくて、中の人を守るのは親のイメージそのものです。
13歳まで育ててくれた親は、どんな形であれ彼らを守っていたといえるでしょう。
そして車がぶつかり、沈んでいく描写は親の管理下から外れることを意味しているように見えます。
つまり彼らはここで親の死を受け入れ、ある意味「親離れ」したのではないでしょうか。
子供からの脱却
2つ目の解釈は、車が心の殻を表していたということ。