『サバイバル』が舞台の本作ですが、本来の『生き残る』ではなく『生きる意欲』へのサバイバルがあるように感じさせます。
サバイバルとはただ生き残ることが最終目的ですが、本作の主人公たちは『死にたい人間』と『死体』です。
生きて帰るためにモチベーションとなる目標を設定する必要がありました。
そうして目標に対する高ぶりや挫折を繰り返し『生きる意欲』を失わない努力をします。
彼らの努力の結果、それが『下ネタ』なのです。しかも観客に少し引かれてしまうであろう程に幼稚なものばかりでした。
携帯電話
ハンクの携帯の待ち受け画像である『サラ』はハンクの恋人ではなく片思いの相手です。
ハンクの『生きる意欲』に直結する重要なポジションと言えます。
しかも『サラ』がメニーの『生きる意欲』にもなっていくのです。
そして『生き残る』ための象徴が携帯電話の電波強度とバッテリー残量でした。
携帯電話は二人にとって、また映画にとっても重要なアイテムなのです。
『性欲』は『生欲』
性に対する欲求は、あるときは犯罪を誘発するほど大きなものです。
小さいものとしては青春の悩みですが、大きなものは殺人の動機にもなり得ます。
本作における『下ネタ』は、いわゆる『人間の業の肯定』という部分でうまく活用しているのです。
メニーの下半身アンテナや、ハンクの母親に対する感情などを『下ネタ』を使って重くなり過ぎないよう、うまく纏めています。
一般的に、欲望はハンクのように内側にしまい込んで出せないものです。
しかしメニーは違いました。
思ったこと、感じたことをすべて遠慮なく曝け出してしまいます。
もはや『煩悩の権化』です。しかし、そのことから二人の関係や『メニー』の正体が見えてきます。
『メニー』とは何か
ハンクの妄想と言ってしまえば簡単かもしれませんが、ラストシーンの説明ができません。
それでは『メニー』とはいったい何なのでしょう。
それはハンクが作り出した『内なる抑圧の象徴』なのです。
オナラの意味
人前ですることを憚られる代表が『オナラ』です。
メニーはそれを出しまくります。同時に感情も遠慮なく出しまくるのです。
つまり『オナラ』は押さえ込んでいた感情の象徴といえます。
『オナラ』は人前では恥ずかしさから我慢をします。しかし、一人になるとまるで鬱憤を晴らすかのように吐き出すのです。
そしてスッキリする。でもまた溜まる。この繰り返しですね。
メニーとハンクは表と裏です。
それが合体すればハンクは一人前になれます。
それを象徴するのが、森の一本橋を渡ろうとして落下するシーンです。
落下したハンクは水中でメニーを捕まえます。
そしてお尻の栓を抜き、キスで口を塞ぐのです。
すると『抑圧』の象徴たる『オナラ』がジェット噴射となり、水中から無事飛び出します。
二人が一つになって生まれ変わったような演出でした。
川の水は母親の羊水の象徴です。
これからラストに向かうメニーとハンクを思わせるスローモーションでした。
メニーが『死体』として現れた理由
メニーはなぜ『死体』である必要があったのでしょう。
生きていても良いようですが、実はそうではありません。
ハンクが自殺しようとしているところにメニーは現れました。
無人島から脱出できる希望が湧いたときはガスがジェット噴射となるのです。
それを掘り下げると一つの仮説に導かれます。
それはハンクの精神状態とメニーの状態が同期しているということです。