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メキシコ国境周辺での麻薬カルテルによる麻薬戦争を描いた『ボーダー・ライン』。
FBIのケイトと元検察官で麻薬の取り扱いを企んでいたアレハンドロは、互いに全く方向性が違う登場人物でした。
そんなアレハンドロとケイトの関係性は、映画ラストシーンで象徴的に映ります。
アレハンドロはケイトに対して、これまでの捜査が法律に則っていたと書類にサインさせたがりました。
ケイトは、サインこそしましたがベランダからアレハンドロに対して銃を向けます。
一体アレハンドロがなぜ書類のサインにこだわったのか、一方なぜケイトは引き金を引かなかったのか。
さらにそのシーン後の、街に響く銃声は何を意味しているのか。ラストになって謎が深まります。
今回はそれらを考察し、『ボーダー・ライン』で描かれた本当の裏社会の事情に迫ります。
ケイトはメキシコの裏社会ではやっていけない
アレハンドロはケイトの部屋に訪れ、これまでの捜査が適法だったことが書いてある書類にサインするよう迫ります。
その去り際に、このような言葉を投げかけました。
君は小さな町に引っ越したほうが良い。法と秩序がまだある所に。
君はここでは生きて行けない。君は狼ではない。そして、ここは今や狼たちの国だ。
引用:ボーダー・ライン/配給会社:ライオンズゲート
つまりアレハンドロは、裏社会がはびこるメキシコ周辺ではケイトが生きていけない、と判断したのです。
目的達成のためならば手段は問わないのがアレハンドロ。これが裏社会なのです。
あまりにも正義感が強すぎるケイトは、アレハンドロから見れば異常者。
だからこそ、アレハンドロ自身も助かり、ケイト自身も助かる道、つまりサインの合意を迫ったのです。
正義のケイトの心の変化
麻薬カルテルとの争いの中、エミリー・ブラント演じるケイトは法に則って正義を貫く人物。
本作は、ケイトの掲げる正義とメキシコ裏社会での正義が対比され、善と悪のボーダー・ラインが明確でありません。
ケイトのその正義感が、裏社会を生きるアレハンドロにはうっとうしく感じるのです。
ケイトの正義とアレハンドロのやり方の対比
ケイトとアレハンドロの正義(やり方)がうまく対比されているシーンがありました。
検問で渋滞中に車で敵に囲まれたシーン。その時の作戦命令での交戦規定は、相手が銃を打ったら打ち返す、というものでした。
しかし、アレハンドロ側の人たちは敵が動いただけで射殺します。
一方ケイトは、買収された警官が発砲してから、それをかわし射殺しました。
交戦規定をしっかり守るケイトと、それを無視してでも目的達成を考えるアレハンドロ側の裏社会の人たち。
このシーンの対比では、それぞれの正義や考え方がよく映し出されているのです。
裏社会のやり方に無理解なわけではない
正義感が強くうっとうしがられるケイトでも、メキシコでのこの作戦に理解を示さないわけではありません。
作戦を進めていくうちに、レジーに対してこのように発言しました。
私たちはカルテル捜査の本質を理解していない。
引用:ボーダー・ライン/配給会社:ライオンズゲート
この発言から、麻薬捜査において、マットやアレハンドロが進めるやり方を全否定しているわけではないことが分かります。
映画途中から禁煙していたのにタバコを解禁したのも、ストレスをうまくコントロールしようとする心境の現れだと思われます。
アレハンドロの目的とCIAのやり方は許せない
ケイトはアレハンドロの目的と正体を知り、それを世間に公表することを声高に叫びます。
マットはそれを止めますが、ケイトにはこのやり方はやはり許せませんでした。
つまり一旦は裏社会のやり方に学ぼうとしますが、CIAとアレハンドロの正体はケイトの善悪のボーダーラインを突破したのです。
アレハンドロにとってこれほど都合が悪いものはありません。