だからこそ、伊良部は一度もう考えるのも無理な状態まで追い込んだのでしょう。
もっと楽になっていい
伊良部は最終的に冷蔵庫にヤクザ絡みの死体があることを確認し、涼美の心を解放しました。
そんな彼女を見て思うのはもっと楽に余裕をもって構えても良いのではないかということです。
田口のケースでもそうでしたが、日本人は何事においても完璧主義を求めすぎる嫌いがあります。
しかし、その為に自分で自分を傷つけ追い込むような真似はナンセンスです。
涼美もそういう意味では現代人が抱えやすいストレスの一つであったのかもしれません。
プール依存症の大森
最後が大森のケースです。彼は田口、涼美に比べると仕事はそつなくこなせるプロフェッショナルでした。
しかし、闇もまた抱えやすくストレス解消のためだったプールがいつの間にかプール依存症に陥っていたのです。
しまいにはそれでまた警察沙汰にまで発展してしまい、伊良部の元にかかることになってしまいました。
彼の場合最大の問題は「依存症」にあり、これは現代人の誰しもが無意識の内にかかっている病気です。
大森はたまたまプールでしたが、現代人は主に携帯電話とパソコンに依存する気が強いといわれます。
そう、彼のように表面上問題ないような人でもやはり心のどこかに病気を抱えているものです。
髑髏の漢字の歌に見える伊良部の真意
こうして無茶なやり方で患者を完治に導く伊良部ですが、髑髏の漢字の歌もまた面白いものでした。
四の釣り針に虫を指し
田中を串刺して女に食わす
左に骨を2つ書く
あっと言う間に髑髏が書けた引用:イン・ザ・プール/配給会社:日本ヘラルド映画
非常にユニークな表現で「田中を串刺して女に食わす」というのは物凄く独特な表現です。
しかし、歌詞を追うと髑髏という漢字も分解すると一つ一つは難しくありません。
だから、複雑な物事をシンプルに考えていくことの大切さをこの歌は教えているのではないしょうか。
完璧主義すぎることの危険性
いかがでしたでしょうか?
「イン・ザ・プール」がこういう馬鹿馬鹿しいギャグじみた描写の裏である一つの教訓を伝えてくれます。
それは完璧主義すぎることの危険性です。日本人は兎に角結果を求める余り何事にも完璧を求めすぎです。
少しでもミスをしようものなら怒られ、そのせいで萎縮してしまい何も出来なくなってしまいます。
しかし、どんな人間も決して完璧ではなく、不完全だからこそお互い補い支え合って生きているのです。
その基本を忘れずもっと肩の力を抜いて生きていくこと、それが本作の伝えたいメッセージではないでしょうか。