一見崇高で甘酸っぱい響きを伴う青春という言葉はその裏に儚さや弱さ・脆さを含んでいます。
本作においてはこの「青春」がどのように表現されているのでしょうか?
一過性
青春という言葉は大抵の場合において「若さ故の輝き」としてプラスの意味で語られがちです。
しかし、現実の青春はそのような綺麗事だけでは済まされない側面も沢山あります。
いじめや反抗期、ちょっとした言葉でさえも自分を守れる強さのない若者を無残に傷つけるのです。
こうした青春の無茶は後々美談や笑い話にされがちですが、それはあくまでも大人になってからのこと。
少年・少女から大人になっていくまでの一過性でしかないことを忘れてはなりません。
スコットは寧ろ少数派?
スコットは社会的に見ると多数派と上記しましたが、青春という観点から見ると彼は少数派かもしれません。
スコットのように人生設計がしっかりしていて遊びと本気のけじめがつけられる若者などごく一部です。
殆どの人は若いとき自分の強さや武器となるものを持たず、結局その時その時の環境に流されてしまいます。
この一過性故の流動性・変動性の激しさもまた青春という言葉の暗黒面といえるでしょう。
2人が結ばれなかった理由
こうした背景を踏まえていくと、マイクとスコットが結ばれなかった理由もおのずと見えてきます。
彼ら二人の道が一時的に近いながらも永遠のものにならなかったのは何故でしょうか?
目的の違い
何よりもマイクとスコットが結ばれなかった最大の理由は目的がまるで違っていたことです。
マイクがスコットへの気持ちを打ち明けたとき、スコットは冷静にこう切り返します。
金のため以外で男同士が愛しあっちゃいけない
引用:マイ・プライベート・アイダホ/配給会社:ギャガ
そう、スコットにとってあくまでも男娼として遊ぶのはお金のためであり、完全な割り切りです。
一方のマイクにとって男娼は遊びやお金目的ではなくもはや人生そのものといっても過言ではありません。
まずお互いの男娼に対する目的がまるで違っているところが悲しき差となっているのです。
前進と停滞
そんな二人の違いが決定的になったのはマイクとスコットがローマに訪れたときでした。
マイクはそこでも男娼を続けるしかなく、スコットはカルミラという女性と恋に落ち帰国してしまいます。
そう、マイクはどこに行こうと自身の悲惨な現状を変えることは出来ず、マイナスのままです。
一方スコットは素敵な女性と恋をすることで男娼を完全に辞め、次に向かって前進すると建設的な方に進みます。
マイクとスコットは最終的に前進と停滞という形で袂を分かつことになりました。
人間関係も「損切り」が大事
帰国して以後のスコットはマイクはおろか男娼に誘ってくれたボブですら「知らない男」と目もくれません。
その後ボブの死とスコットの父の死が重なった時に再会してもマイクとスコットが言葉を交わすことはありませんでした。