愛とは身も心も一つに溶けることだといいますが、ゾルグとベティの生き様が正に混合される酒の通りでしょう。
モナ・リザの絵の意味
そして、酒の混合と別にもう一つモナ・リザの絵もまた象徴的に本作で用いられています。
ゾルグの部屋に飾られているこの写真は何を意味するのでしょうか?
中性の象徴
ここまで考察してくると、やはりモナ・リザも「人格の統合」とするのが自然な解釈でしょう。
その上でもう少し踏み込んでいくと、モナ・リザは「中性」の象徴ではないでしょうか。
当然婦人がモデルなので基本は女性なのですが、角張った顔つきや太めの手など男性的な側面もあります。
それでありながらどこの誰にも似ていない輪郭が曖昧であることがより中性だと感じさせる所以です。
ゾルグのルネッサンス
そしてもう一つ、モナ・リザの絵自体がイタリアルネッサンス期に作られたことも忘れてはなりません。
モナ・リザの絵とはマイナスに落っこちていたゾルグという人間の復興・再生の予言なのでしょう。
一見破滅的なイメージの愛を描いてるようで、それと対を成すように一人の人間再生の物語となっています。
だからこそ尚のことベティはゾルグを自らの命を賭してまで再生しようとしたのでしょう。
痛みなき所に得るものなし
「ベティ・ブルー」のみならずフランス映画の、特にヌーヴェルヴァーグの恋愛はどこか「痛み」を伴います。
それは現実の男女の愛が決して綺麗事では済まないからですが、それだけではありません。
ベティとゾルグの愛がそうであるように、痛みなき所に得られるものなど存在しないのです。
本当に大切な物や成長というものは相応の対価や代償を痛みとして払わないと得ることは出来ません。
ゾルグはベティとの痛みだらけの愛、そしてその喪失と引き換えに小説家という夢を叶えたのです。
本来の自分を目指す物語
「ベティ・ブルー」は生々しい恋愛描写が目立ち、エキセントリックな描写ばかりが取り沙汰されます。
しかし、こうして紐解いていくと男女の愛を超越した所にある人間再生の物語だと気付かされるのです。
それは同時に本作が「本来の自分を目指す物語」であることの証左ではないでしょうか。
人間、誰だってベティのように自分の感情に正直に生きられたらどれだけ羨ましいことでしょう。
しかし、現実ではみんな自分の本音を押し殺し、潜在意識に蓋をして平凡なまま一生を終えてしまいます。
そんな時、人間とは何か?と向き合う作品として描かれた本作をご覧になってみるといいでしょう。