原作だと冷静沈着で後ろから静かに住田を見守っているのですが、映画だと積極的な性格になっています。
住田のいった言葉を全て語録みたいに部屋に貼り付け、常日頃鬱陶しい程彼に執着するのです。
一歩間違えればただのストーカーなのですが、二階堂ふみの熱演により上手く説得力を持たせています。
そしてもう一つが住田に関わる人間達に普通・平凡の人達が居なかったことです。
逆にいいますと、これくらいの熱量を持った人でなければ住田を説き伏せるは難しかろうと思われます。
日和見主義の夜野
そしてもう一人、ある意味一番タチが悪かったのが日和見主義の夜野正造でした。
彼は虐められていたところを住田に助けられた恩義がありましたが、一方で金にがめつい面もあります。
何とスリの常習犯・飯島テル彦に唆され、住田父の借金返済の為に銀行強盗を平気で行うのです。
住田とは心置きなく話せる間柄でしたが、この件を不義理だと取った住田から絶縁されました。
この日和見主義故に自身のやってることが偽善だと気付かないのが彼だったのです。
住田を蝕む毒
そうした彼らの存在は住田の心を救うどころか逆に彼自身を蝕む毒となってしまいました。
何故ならば住田が一番望むのは普通・平凡の友達だからです。
しかし、面白いのは普通・平凡を望むほど普通・平凡からかけ離れた人達しか集まらないことです。
彼の心の意識は斜に構えた見方から抜け出そうとせず、より深みにはまってしまいます。
同級生の存在が救いとなるどころか毒になるのが終盤の悲壮な展開に発展するのです。
住田が自殺できなかった理由
父殺しにより住田はとうとう人としての一線を超えてしまいます。
しかし、それでも彼は自殺という選択肢を取ることは出来ませんでした。
一体何が彼にそうさせたのでしょうか?
「殺し」への恐怖
自殺、他殺を問わず住田の心を占めていたのは「殺し」「死」の恐怖ではないでしょうか。
父を殺したのも決して殺そうとしたのではなく、迷惑・不義理を辞めなかったことへの憤りからです。
後述する叫びでそれが分かりますが、住田はどんなに頑張っても人を殺そうとまでは行けません。
余程復讐の気持ちが強いか、サイコパスなどでもない限り人は他者も自分も殺すには至らないのです。
ここで大事なのは住田はあくまで「斜に構えた人」であって「復讐鬼」ではないということ。
その意味では彼もギリギリ「普通」の人としての感性は持っていたというべきでしょうか。
帰る場所と受け止める人
住田が自殺を踏みとどまった決定打は被災者達や茶沢が整えてくれたボート屋のお陰でしょう。
彼は何があろうとボート屋だけは誇りに思い、大事にしていました。