出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B075MSLXKW/?tag=cinema-notes-22
本作品は、2012年に奇跡の実話を映画化した感動ドラマです。
2016年公開のオーストラリアとアメリカおよびイギリスによる合作映画で、監督は本作が映画デビューのガース・デイヴィスが務めました。
第89回アカデミー賞で作品賞・助演男優賞・助演女優賞・脚色賞・撮影賞・作曲賞の6部門にノミネートされています。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/LION/ライオン~25年目のただいま~
実際に起こったことやサルーのその後と『LION』というタイトル、兄グドゥの死因などに『インドの実情』を交えながら考察します。
迷子になったその後
サルーの人生が大きく転換する前、サルーは必ず眠っています。
回送列車に乗る前もサルーは一人で眠っていました。
地下通路でのストリートチルドレン狩りの時もそうです。
眠りから覚めるという当たり前の行為にどんな意味を持たせているのでしょうか。
生きるための本能
睡眠をとることは人間が生きていくうえで必要な行為です。
まして子供は大人より多くの睡眠を必要とするのは当然であり、いわば本能の部分といえます。
大好きなグドゥと一緒に行きたいという思いも、眠くて仕方がないことも仕方のないことです。
しかし、この映画にとっての『サルーの眠り』はそれだけではありません。
サルーが眠るのは現実逃避です。
そして起きたときに状況が変わっているという演出は『流れに抗えない』サルーの幼さを象徴しています。
目覚めるたびに無表情になっていく演技は見事ですね。
言葉の壁
インドでは英語とヒンディー語が公用語ですが、州によって使われる言語は約30種類もあります。
サルーのいた地域マディア・プラデーシュ州はヒンディー語ですが、カルカッタはベンガル語か英語なのです。
『吹替版』ではこれらの言語が全て日本語に吹き替えられているので、本来の『言葉の壁』を感じることができません。
列車に取り残されたサルーが途中の駅で窓の外の女性に向かって助けを求めるシーンもそうです。
これは人々がサルーを無視しているのではなく、何を言っているのかわからない状況を現しています。
『字幕版』でも『吹替版』でも助けてとしか出ていませんがサルーの感じた絶望的な孤独は判りました。
そしてもう一つの言葉の壁は大学時代にインドからの留学生との会話の時に感じます。
インド人であるはずの自分が母国語を理解できないという事実に孤独感を抱くのです。
言葉が通じないことはアイデンティティーの喪失につながります。
インドの闇とストリートチルドレン
地下道で段ボールの寝床を譲ってくれた少年はストリートチルドレン狩りに合いました。
彼らはどうなっていくのでしょうか。
インドには様々な理由から路上で生活している『ストリートチルドレン』が数十万人いるといわれています。
あれは一見、不法に生活している子供たちを取り締まって保護しているかのようにも見えます。
しかし現実は『人身取引・売買』をしようとしているのです。
逃げ切ったサルーを保護したかのような女性も実はサルーをお金にしようと企んでいました。
迷子のサルーにはもはや絶望しか残っていません。
そしてサルーはまたしても眠ります。
迷子のサルーが現実から逃れるには目を閉じてじっとするしかないのです。
孤児院での過酷な現実
拾ったスプーンを宝物のように持ち歩くサルーは人の真似をするクセがあります。
そのスプーンでスープを飲む青年の真似をして保護してもらうという幸運を拾いました。
大人になったサルーがルーシーという恋人を手に入れたときもルーシーの仕草を真似することで距離が縮まっています。
サルーが無意識に誰かの真似をする時には決まって良いほうへ運命が転がるようです。
老女のような少女の手
孤児院での生活は劣悪でしたが、孤児たちは食べるためにここにいるのです。