弁護を担当することになるロニーは、また別の視点を与えてくれています。
黒人ということで、不当な扱いに思うところが多くあるのでしょう。ロニーは最初から不機嫌でした。
ルディとポールが先に、白人の弁護士をあたっていたことも言い当てています。
辛い差別を目の当たりにしている彼らでさえ、無意識にそのような思考を持っていることを明らかにするのです。
ゲイの場合 何でも ほぼ不可能よ
引用:チョコレートドーナツ/配給会社:ビターズ・エンド
ただ、ロニーはそう言い放ったルディから目線を外さず、協力してくれることになります。
勝ち目のない戦いに疲れ切ったルディに、同じ痛みを見たのかもしれません。手を貸してもいいと心が動かされたのかもしれません。
困っている人を見たら力になりたいと思うこと。それも普遍的な行動ではないでしょうか。
ロニーの存在により、この映画が性や人種など、特定の権利を主張するものではないことが示唆されるのです。
“彼ら”の向かう先 時代を超えたメッセージ
ではこの映画は、やるせない物語をただ描いただけだったのでしょうか。そうではないと思います。
ハッピーエンドをせがむから
(マルコは)ハッピーエンドが大好きでした
引用:チョコレートドーナツ/配給会社:ビターズ・エンド
ポールは、最後の手紙で冷静に語っています。誰彼構わず突っかかっていたルディも、もう感情に任せたりはしません。
彼らは親としても、意識のレベルが上がっているのです。
どうしようもない怒りや悲しみにただ暮れることはなく、世界に向けて発信しています。
あの子が、ハッピーエンドが好きだから「いつかきっと(any day now)」良くなるように、彼らは声をあげ続けるでしょう。
これは限りなくビターな、ハッピーエンド(を目指そうとする)物語といえないでしょうか。
時代を超えたメッセージ
自由でありたいと思うこと。誰かを愛したい、助けたいと願うこと。この作品の中で描かれているのは、普遍的なメッセージばかりです。
それが何かの条件によって、不当な扱いを受けたり、叶えられなかったりすることは、現代でさえ起こりうることです。
1970年代、今よりもそれが厳しかったと想像することは容易です。
その時にルディやポールのような人たちが声をあげ、それが今に繋がっているとしたら、彼らがいたことを忘れてはいけないでしょう。
どの時代でも、そんな風に苦しみ、もがく人たちがいる。この映画は、それを教えてくれているのです。
いつかハッピーエンドを迎えられる。だからどうか希望を失わずに。
ルディの歌にのせて、そんな願いが込められているように思えるのです。