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映画「クロニクル」はある日突然超能力を手にしてしまった少年三人の破滅を描きました。
まず珍しいのはハリウッド映画でこのような「突発的に力を手にした少年」を描ききったことです。
三人の若者の造形も悲惨な家庭環境やコンプレックスから来る後ろ向きな若者でした。
そんな若者達を凄く卑近なアンドリューの視点で描くモキュメンタリーな作風も見所です。
興行収入も1億2311万4970ドルと破格の実績を叩き出しています。
本稿ではそんなアンドリューがカメラを回し続けた理由をしっかり考察していきましょう。
また生き残ったマットのその後、そしてチベットにカメラを置いた真意にも迫っていきます。
アンチ少年漫画
「クロニクル」の根幹を織りなす作風は“アンチ少年漫画”です。
三人の冴えない若者がある日突然超能力を手にしてしまう、これは日本の少年漫画の王道です。
少年漫画では大体において中学生・高校生などの若年層に超能力と大きな使命を背負わせます。
そして大抵の場合その使命を受け入れて力を使いこなしていきますが、違和感もやはり少なくありません。
訓練も受けてない市井の一般市民が突発的に力だけを与えられ、ろくな指導もなく力を使えるでしょうか?
その根源的な疑問へのアプローチが本作の作風となっているのです。
アンドリューという青年
「クロニクル」という映画で一番欠かせない要素はアンドリューという青年です。
彼が破滅にまで追いやられるのにはそれ相応の理由がありました。
果たして何が彼を破滅にまで追い込んだのでしょうか?
米国版碇シンジ?
日本漫画・映画との比較でみるとイメージや鮮烈な超能力の描写から映画『AKIRA』との類似も指摘されます。
確かに島鉄雄とアンドリューはどこかその尖ったナイフのような危うさを孕んだ内面が共通点です。
しかし、島鉄雄が父を早くに亡くしていたのに対し、アンドリューはずっと父との確執に苦しめられました。
家庭環境が悲惨だったことと併せると島鉄雄よりは寧ろ碇シンジに近いのかも知れません。
カメラ
本作を語る上で何よりも欠かせないのはアンドリューがずっと回し続けているカメラです。
学校も上手く行かず、家庭でも父に否定されっぱなしだった彼にはカメラだけが誇りでした。
もはや自分の半身にしてアイデンティティーとすらいえるほどアンドリューを象徴するものです。