これはそのまま白人至上主義を掲げて好き勝手やっている米国のカリカチュアではないでしょうか。
しんのすけもレモンも最初は親のいうこと、アクション仮面のいうことが全てだったのです。
しかし、そのような極端な絶対正義を押し通そうと思うと他者との争いを避けて通れません。
二人の独裁者が中心となっての排他性は実は自分達さえよければいいという身勝手さの現れです。
ナーラオとヨースル
黒幕はナーラオとヨースルだと判明しますが、二人の関係性はどのようなものだったのでしょうか?
また、何故極端なオナラによる世界征服などを考え実行しようとしたのかなども明らかとなります。
今度は彼女達の関係性を掘り下げていきましょう。
オナラコンプレックス
二人に共通していたのはかつて過去にオナラで人から馬鹿にされたトラウマがあるという点です。
ナーラオはかつてオナラで会社中の笑い者にされ、ヨースルはオナラで彼氏に振られた過去があります。
つまり、二人ともオナラで辛い過去を経験しており、そのことをずっと根に持っていたのでしょう。
まあそれだけを動機にして国家権力まで上り詰めたのだから彼女達の執着心たるや凄まじいのですが…。
兎に角、ちょっとしたことがコンプレックスとなるのは現代人のハートの弱さを象徴しています。
傷の舐め合い
スタートがマイナスからなので二人の関係はどこまで行こうと傷の舐め合いでしかないのではないでしょうか。
オナラで辛酸を舐めさせられたので逆にいうとオナラがなかったら決して一緒に仕事などしていないでしょう。
だから決して親友でもなければ良きビジネスパートナーという健全な大人の関係性でないことは確かです。
勿論マイナスからでもいいのですが、どこかの時点でそれをプラスに変えていかなければなりません。
お互いの欠点も指摘していませんでしたから、いざとなったら暴走を食い止められないのでしょう。
だからラストで共倒れとなりしんのすけ達の前に破れる格好となったのです。
ドライな合理主義の怖さ
何より一番怖かったのは二人がドライな合理主義として突き抜けた怖さを天然で持っていることです。
野原一家を実験台にしても平然としていて、反逆者という理由でしんのすけとレモンを銃殺しようとします。
コミカルにサラッと描かれていますが、これで自分達が悪という自覚がないのだから始末に負えません。
そうした他者への関心の薄さが命を奪っても何とも思わない人間味の希薄さに繋がっているのでしょう。
これがこの二人の関係性の本質にして独裁国家の排他性の正体です。
ヘガデル王国について
そんな独裁国家のアンチテーゼとしてヘガデル王国が綺麗に対比されています。
悪の国家という雰囲気が全くないこの国はどのような国だったのでしょうか?
関西弁で和気藹々
芋の名産地にして、何故か外国なのにみんな関西弁で和気藹々と他愛もない話をしています。
どこか他を寄せ付けないスカシペスタン共和国に対してこちらは表向き凄くオープンでフランクです。
となりのトロロイモなどという某映画のパロディの鑑賞会もやるなど非常に楽しそうにしています。
ラストではしんのすけが世話になったことから野原一家にまで芋をご馳走すらしていました。
行き場を失ったレモンの家族の職場まで斡旋していましたから温かい国なのでしょう。
悪の国家などというレッテルが全く当てにならないことがここからも分かります。