フレイもマティルダも、マックスへの感謝を忘れないでしょう。愛する人の心の中で生き続ける。それがマックスの答えだったのです。
カバとミーアキャットの話
物語の中に唐突に挿入されるカバとミーアキャットの話。この話に何の意味があるのか分からなかった人も多いでしょう。
これは物質世界と精神世界が例えられていると考えられます。
マックスは寓話をバカバカしいと一蹴し、損得で判断しようとしました。ですが、本質はそこにはありません。
カバはただ「友達が欲しい」という心の繋がりを求めていたのです。
このシーンは、損得しか頭にないマックスが物欲に囚われていることを示す重要な場面だと思われます。
物欲は金至上主義と同じであり、お金持ちの方が偉い、どれくらいお金を持っているかで人の価値が決まるということです。
マックスが持っている物欲こそがエリジウムを作らせたといっても過言ではありません。
逆に心の繋がり、つまり精神世界は物欲から解放された考え方です。
人間が精神世界へ移行しなければ貧富の差は存在し続けます。
カバとミーアキャットの話をしたマティルダは、精神世界の側にいる存在として描かれていました。
マックスがマティルダに未来を託したと解釈していいでしょう。
地球上の全員をエリジウムの市民にした理由
マックスは自分の命を犠牲にして地球上の全員をエリジウム市民にしました。
しかし当初は自分のためだけにエリジウムに乗り込む予定だったはずです。なぜ自分だけエリジウム市民にならなかったのでしょうか。
エリジウムへの復讐
真っ先に思い浮かぶ理由はエリジウムに住む超富裕層への復讐です。
地球上の全員が超富裕層と同じ暮らしができるのであれば、貧富の差はぐっと狭まるでしょう。
マックス一人では貧富の差は解消できません。
人間社会を大きな枠で捉えた時、個人ではなく全体として行動を起こすことを思い付いたのではないでしょうか。
一人でエリジウム市民になったら
もしマックスだけがエリジウムの市民になったら、彼は幸せでしょうか。体はすっかり元気になり、半永久的な命が約束されます。
それ自体は素晴らしいことですが、彼はフレイや親しい人と別れなければなりません。
マックスだけエリジウムの市民になったところで何の意味があるのでしょうか。
そう考えた時に、全員でエリジウム市民になることが幸せなのだと気付いたのだと思われます。