ラムが射殺した少年兵は5人でした。実はこの「5」という数字に、ラムの心境の変化が隠されています。
5という数字には「変化」や「幸福と健康」といった意味があるそうです。
ラムは、もう助からないと思われる少年兵を5人射殺したのち、精神的に壊れてしまいました。
しかしこの「変化」は、ラムの「幸福」につながるのです。ラムは病院を運営する方針として、次のようなものを語っていました。
今が幸せな患者を、苦しい現実に戻してどうする?
引用:アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち/配給会社:ミレニアム・フィルムズ
ラムは、本物の院長であるソルトと真逆の治療法で患者を診ます。
自由に患者を生活させるその方法は、ある意味「患者を強制的に治療しない」ということ。
つまり「治療を施そうとすることは意味のないこと」であり、それこそ「幸福」なのです。
5人という数字には、ラムの気持ちの変化や現在の心境が語られていたのでした。
ラムと少年兵の関係2:罪悪感
先述したように、ラムは5人の少年兵を射殺しましたが、本当に少年兵たちは「殺される」ことを全員が望んでいたのでしょうか。
そこを改めて考えると、ラムの少年兵たちに対する気持ちが、違った形で現れます。
自分だけ生き残った
少年兵を殺した後、ラムは自分の自殺を図りましたが弾切れによって、自分だけが死ぬことはできませんでした。
現実では、戦争において生き残った人たちの多くが、自殺によって亡くなっています。その理由が「自分だけ生き残った罪悪感」。
つまりラムは少年兵たちに対して「罪悪感」を抱いているのです。しかも、相手が自分よりも未来ある若い子どもならばなおさら。
自分だけ生き残ったことへの罪悪感から、ラムは少年兵たちの記憶を消してしまったのです。
それを写真を通して復活させたとき、ラムは再び精神的に壊れるのでした。
死にたくない少年兵
少年兵を射殺するシーン。この中に「殺されたくない」と思っている少年兵がいました。
しかしラムは、その兵士を自分の手で殺しました。つまり少年は被害者であり、ラムは加害者。この関係が成立しています。
被害者・加害者の関係になった時、被害者はもちろん、加害者も元が高い倫理性を持っていた人であれば、後に罪悪感で苦しみます。
ラムは元が軍医であることから、高い倫理観を持って仕事に取り組んでいた人物です。
その人物が、「殺されたくない」と思っている兵士を射殺したとなると、自分の中で一生自分を責め続けるでしょう。
ラムと少年兵の関係は、必然的にラムが自分自身を傷つけ、苦しむ「被害者・加害者」の関係なのです。
ラムと少年兵の関係をまとめると
これまでのラムと少年兵の関係に関する考察をまとめると、このようになります。
- 信頼関係があった
- 「5」の数字から、ラムに「変化」と「幸福」が訪れる
- ラムが罪悪感を感じる相手
- 被害者と加害者
このように見ると、ラムが少年兵の写真を見て錯乱状態になることもうなずけます。
信頼関係があるがゆえに、最後には苦しい思いをさせ、後追いもできず生き延びるラムは錯乱するのです。
そして少年兵から患者の幸せの在り方を学んだからこそ、ストーンハースト精神病院の院長のやり方が気に入りませんでした。
患者たちの反乱の裏には、そのような少年兵との過去があったのです。
アサイラムの意味
アサイラムには映画タイトル通りの「精神的な弱者の保護施設」の意味の他に、このような意味があります。
現代の法制度の中で近いものを探せば在外公館の内部など「治外法権(が認められた場所)」のようなものである。
引用:https://ja.wikipedia.org/wiki/アジール
このように考えると、2人のエドワードの目的、ラム、元院長ソルトの行動は、すべてこの場所では認められる行為です。
だからこそ、聞いたものではなく見たものの半分を信じることが必要と考えられます。
また映画予告でも、思い込みや先入観に囚われず、自分の直感を頼りにするようなことが予告されていました。
『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち』は、推理作家の巨匠エドガー・アラン・ポーの作品を元にしています。