そんな彼女に似合うのは気持ちをクリアにするための白い花束ではないでしょうか。
彼女の顔は照れくさそうにしていても凄く晴れやかな表情でした。
つまりラストシーンは新たなる関係の始まりを意味するのです。
恋愛関係かは不明
誠一と木帆が果たして恋愛関係になったのかどうかは最後まで不明なままです。
木帆は照れくさそうに笑っていることから好きだと窺えますが、誠一は微笑みしか浮かべません。
ただ、手紙という形で想いを伝えた時点で確実に心の距離は縮まっているでしょう。
木帆が真っ直ぐに空を指差したことから二人は暫く別れることが匂わされています。
どのような関係にしてもこの二人もまた花を通じて想いを繋げることは出来たはずです。
旅立つ者と帰りを待つ者
ラーメンと花の関連性で述べたように、木帆はやや男性的で我が強く誠一はやや女性的で穏やかな性格です。
こう見るとき、木帆は「旅立つ者」、そして誠一は「帰りを待つ者」といえるのではないでしょうか。
この性格における男性と女性の逆転した構造が表象されているのもまた小津映画に近いものを感じさせます。
小津映画では女性の方が芯が強く、対して男性陣が包容力や優しさを持った存在として表わされることが多いです。
木帆や宏美、麻里子などの女性が強いのもそうしたオマージュがあるのかもしれません。
そのような関係性として見ると二人が将来的に恋愛や結婚の可能性があることも十分考えられます。
「ありがとう」と「ごめんなさい」
もう一つ面白いのは告白を振る時に使われている「ありがとう、でもごめんなさい」という言葉です。
劇中では宏美と誠一がこの言葉を用いているのですが、日本語の豊かさが実に的確に詰まっています。
告白してくれたことへは感謝しつつ、でも”好き”という気持ちには応えられないというのです。
でもそれを具体的にいわず間接的に「ありがとう」と「ごめんなさい」に凝縮しています。
このような日本語独特の想いの表現を非常に繊細に、しかしリアルに切り取って伝えているのです。
でもそれを特別なことではなく、ごく普通の日常として描いているのが本作の面白さではないでしょうか。
想いは「伝える」ことで具象化する
本作は特に恋愛関係の”好き”をテーマとしていましたが、別に想い自体は何でもいいのです。
ただし、大事なのはそれを「伝える」こと…想いは言葉や行動などの具象化で初めて現実となります。
勿論それで上手く行く場合もあるし、傷つくことだって沢山あるでしょう。
本作だって伝えきれずに終わった想い、報われずに終わった想いなど様々な想いの具現化がありました。
一人の花屋を通して伝わるものになっていき、そして想いを伝えることでmellow(成熟)していくのです。
花という言葉はその想いを具現化してくれる一つの道具・手段でしかありません。
そうした想いの本質を花屋の視点から淡々と、しかしリアルに描ききってみせた味わい深い逸品です。