これは特に子どもたちにとって非常に迷惑で、自己中心的な行動だったと言わざるを得ません。

ですが夫の苦しみだけが彼女を満足させられるため、我が子さえもその道具として使ったのです。

一方被害者側にも同様の自己中心さが見えます。

例えばアンナは、パトリシアの子供を確保するためにパトリシアの必死の訴えを無視しました。

一見ソーシャルワーカーとして当然の行動のようですが、アンナはパトリシアを「虐待している母親」と決め付けて勝手に確保したのです。

本当だったら母親の意見も聞き、解決策を考えるのが仕事なのに、自分の考えを押し通す自己中心さを発揮しています。

そしてパトリシアも、自分の子供を蘇らせてもらう代わりにアンナの子供をヨローナの生贄にしようとしました。

確かにパトリシアの子供はアンナのせいで死んだともいえるので、同情の余地はあります。

ですが子供を失う悲しみがどれ程のものか分かっていながら、アンナの子供を代わりに差し出すのは自己中心的だといえるでしょう。

自己中心さの犠牲者

アンナの自己中心的行動によってパトリシアの子供が死に、パトリシアが生贄に差し出したためにアンナの子供が死にそうになりました。

結局お互いの自己中心さが子供を失う原因を作っているのです。それはまさにヨローナが自分のために我が子を溺死させたのと同じ結末。

このことから、ヨローナとアンナ・パトリシアの共通点が浮かび上がりました。

ヨローナは適合者に乗り移る?

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共通点が浮き彫りになったことで、アンナもパトリシアもヨローナと同じ性質を持つ女性だと思われます。

だからこそヨローナも彼女たちに近づいたのでしょう。

選ばれし者

ヨローナが近づくのは誰でもいいわけではありません。ある意味”選ばれし者“です。

ですから彼女たちが被害にあったのは、偶然ではなく必然だったと考えるのが妥当だと思われます。

ではなぜヨローナは自分に似た女性に近づくのでしょうか。慰められたいからなのか、同情されたいからなのか。

しかしそうだとしたらアンナやパトリシアと仲良くできそうなものです。2人を殺そうとまでした狙いは何だったのでしょうか。

乗り移る体を探す

ヨローナが死んでから300年が経過していますが、その間に彼女に似た性質を持つ女性が何人も現れたはずです。

同じ時にアンナとパトリシアという2人の適合者が見つかったことからも、それほど体探しは難しくはないのだと思われます。

ヨローナのように子供2人の親であり、自己中心的な人物ならいいのですから、いつの時代にもいたはずです。

ペレズ神父がヨローナの話を知っていたのも、以前にも助けを求めて教会に来た女性がいたからだと推測できます。

そして毎回戦いが繰り広げられてきたのでしょう。

ヨローナはその度に女性の体に乗り移ろうとするが、失敗に終わって水たまりの中へ消えていたのかもしれません。

アンナが水たまりを見たラストシーンの意味

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適合者であるアンナとの戦いに敗れるヨローナ。今回もまた乗り移りに失敗したようです。

一方勝者であるアンナは、ラストシーンで水たまりへ意味深な視線を投げかけます。この場面は観る人によって解釈が変わるでしょう。

しかし素直に解釈すれば、ヨローナへの同情などが表されているようです。

子供のもとへ行ってあげて

ヨローナの子どもたちは、ずっと昔に天国へ上って行きました。きっと彼らは寂しがっているはずです。

自分を殺しても母親は母親。だから子どもたちの所へ早く行ってあげて欲しいと、アンナは思ったのでしょう。

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