彼女もまた辰也と同じように、相手を絶対に愛しぬくと1度は思っていたのでしょう。
だから辰也をきれいに切り捨てきれずに、二股関係に移行していったのです。
エアジョーダンを贈った意図
映画には、Side-Aの鈴木夕樹=Side-Bの鈴木辰也とミスリードさせる小道具が幾つか登場します。
そのひとつが、“マユ”から“たっくん”へと贈られるエアジョーダン。
繭子は2人の“たっくん”に同じプレゼントをしました。一体彼女はなぜこんなことをしたのでしょうか?
間違いミスの防止?
夕樹の名前の「夕」の字をカタカナの「タ」に見立てて繭子がつけた呼び名、”たっくん”。
これはもちろん、2人の男性の呼び間違いの防止です。
そのため彼女から男性へのはじめてのプレゼントも、同じくミスの防止のために統一したと考えられます。
例えば「あの時あれをあげたでしょ?」とプレゼントの話になっても、同じエアジョーダンなら間違いは起きません。
かつての幸せをなぞる行為
Side-A。繭子は夕樹に色々なアドバイスをしています。
服装や髪型に気を遣ったらどうか、車の免許を取ったらどうか。
素直にアドバイスに従った夕樹は、流行を勉強。そのため、型だけは辰也に近づいていきました。
これは繭子にとって意図的なものだったと考えられます。
繭子が夕樹を“たっくん”と呼び、彼に辰也と同じプレゼントを贈った理由。
それはかつて理想的な恋人から愛されていた日々を再現するためという側面もあったのではないでしょうか。
繭子にとっての“たっくん”
“たっくん”とは、繭子の絶対的な理想の恋人像です。
ファッションの流行を抑えていて、車の運転ができ、何より自分を心から大切にしてくれる。
“マユ”にとっての“たっくん”はそうでなくてはなりません。
繭子にとって辰也との恋愛はイニシエーション・ラブ。
絶対だと思っていた初めての愛でも、終わりを受け止めて次へ進む必要があります。
しかし、彼女のイニシエーションの終わりは特殊でした。
彼女は辰也との終わりは認められたものの、“たっくん”との終わりは認められません。
だから相手が次の人物に移り変わっても、変わらず“たっくん”と呼び、自分の理想の部分を再現しようとしたのです。
共犯者たち
『イニシエーション・ラブ』には辰也と繭子の関係を軸にしたミステリー要素があります。
一般的なミステリーと違うのは、彼らの間に明確な犯人と被害者の関係が成立しないこと。
それは、この物語がラブストーリーでもあるためです。
ステーションホテルの前で鉢合わせた2人の“たっくん”を前に、何ら慌てる様子のない繭子。
そのきょとんとした表情は、彼女のイメージを捨てられた女から一転、男を手玉にとる小悪魔に塗り替えます。
しかし、だからといって彼女が犯人で、辰也が被害者にはならないのです。
彼らはお互いに共犯者。
2人がイニシエーションの終わりを自覚し、きちんと別れて次に進んでいれば。
おそらく堕胎はなかったでしょう。夕樹や美弥子を不必要に振り回すこともなかったはずです。
絶対だと思っていたものが揺らぐときこそ、人間の価値観が問われるときなのかもしれません。