そう、本当になりたい姿が”外”ではなく”内”にあり、そこに気付くまでを描いたお話だったのです。
彼女が最後かすかに微笑んでみせたのも、そのことに気付いたことを意味するものでした。
自分を飾らなくなった
清浦が最後に消えたのは砂田が自分を飾ることなく素直に受け入れることが出来たからではないでしょうか。
清浦が指摘した砂田の「ダサさ」とは自分の本心を偽って”いい大人””いい女”の仮面を被っていたことです。
そんな本心を偽っての生活にストレスが溜まって八つ当たりする姿など大人の恥としかいいようがありません。
だからこそ、最後の最後でありのままの自分を受け入れ、理想とは違ってもいいのだと最後に知ったのです。
自分の潜在意識・本音を自覚した時点でもう清浦の役目は終わりを迎え、姿を消して砂田自身に戻りました。
衰弱する祖母が与えた影響
砂田が田舎を毛嫌いしていた理由は閉塞感に満ちていて、自分の夢を悉く邪魔する要素しかないからでした。
帰郷した砂田を待ち受けていた現実はどんどん距離が生まれていく家族との深い心の溝という形で現われます。
その中でどんどん衰弱していく祖母はどのような影響を孫の砂田に与えたのでしょうか?
いずれ死ぬ
まず大きな影響はいつか自分も祖母のように衰弱していずれ死ぬという現実を突きつけられたことでしょうか。
どれだけCMディレクターとして頑張って大人の楽しみを謳歌したところで、死は絶対に免れられません。
それは砂田とて例外ではなく、祖母の姿に寂しさと共に無力さ・無常さをも感じ取ったのでしょう。
砂田の分身であるキヨが廊下で待つ選択をしたのも大人の現実の領域だからです。
いずれ自分にもやって来る「死」を祖母の爪を切りながら頭に浮かべていたと推測されます。
格好つけられなくなる
二つ目に今自分が若さで誤魔化している大人の格好つけも衰弱していく祖母の前では何の意味も持ちません。
必死になって青い鳥を探し続けている砂田もいずれはそのような格好つけが出来なくなります。
余程のことでもない限りそのような格好つけは一過性のものに過ぎず墓場には持って行けません。
自分が必死になってやっていることが全否定されるような気持ちに襲われてしまうのです。
心に余裕が生まれた
しかし、決して悪い影響ばかりではなくいい影響もありました。
それは祖母が砂田のことを衰弱していく中でも覚えていて大事にしてくれていたことです。
嫌な思い出や環境ばかりの故郷で数少ない良かった思い出の一つが祖母との日々でしょう。
ここがしっかりあったことで少し砂田の張り詰めていた心もほぐれ余裕が生まれたのではないでしょうか。
その証拠に彼女は最後辛そうな表情ではなく泣き笑いで田舎が大嫌いといっています。
これは帰郷したことが決して悪いことばかりではなかったことを意味しているでしょう。
スマホを投げた真意
そしてもう一つ、砂田の場面で忘れられないのはスナックのママに作り笑いを指摘された時です。
彼女は何とそこでスマホを床に叩き付けて周囲を驚かせ、咄嗟に取り繕います。
ここには果たしてどのような真意が隠されているのでしょうか?
大人の下品さに嫌気が差した
まず一つはそういう場所だと分かっているとはいえ、大人の下品さに耐えられなかったことです。