彼が満たされない思いを抱えていたのはずっと航空会社側の「誠意ある謝罪」がなかったことでした。
だからまずは模範として自身がまず誠心誠意頭を下げて謝罪出来る人間であることを強調しています。
謝罪という漢字は「罪を謝る」と書き、自身が起こした罪への自覚と反省・改善があって成り立つのです。
服役した彼だからこそ自身が起こした罪の重さを分かっていたのでしょう。
ジェイクへの謝罪
そして1番の意味は自分が刺殺してしまったジェイクへの謝罪を息子を通して行っているのでしょう。
1度自分が謝罪を求め復讐に走ってしまった過去があるからこそ、息子にかつての自分を見ているのです。
その立場になったからこそ、改めてジェイク自身何を息子に対してすべきなのかを熟知していました。
この時の対応次第ではそれこそ息子に射殺され、終わりのない復讐の連鎖が起こっていたでしょう。
そうならなかったのは1番息子が欲している言葉を誠心誠意形にし、伝わったからだと考えられます。
謝罪の出来ない人が増えている
ラストシーンでこの謝罪が強調されているということは謝罪の出来ない人が増えているということです。
昔と比べて現在では人間関係も厳しさが減ってやや横の繋がりが友達感覚のようにもなりつつあります。
しかしそれは同時に上下関係を重んじることや義理人情・筋を通すことを軽視する傾向にも繋がるのです。
アーノルド・シュワルツェネッガーを配した理由もそうした「謝罪が出来る世代の大人」だからでしょう。
勿論謝罪したからといってローマンが起こした殺人罪は決して消えるものではありません。
ですが、きちんとけじめをつけて前に進んでいくためには謝罪もまた大事な行為なのです。
ごめんなさいで済めば警察は要りませんが、ごめんなさいすらいえない人は警察以前に人間失格でしょう。
ローマンは復讐鬼ではない
ローマンは自宅を全焼させてまで復讐に走ったとはいえ、ギリギリ復讐鬼にはなりませんでした。
それは彼が人間としての尊厳と分別をもって踏みとどまったからではないでしょうか。
彼が真に恨み戦っていたもの、それは謝罪がまともになされない世界そのものであるといえます。
一見個人への恨み辛みのようでいて、実はそうした世界レベルの理不尽と戦っているのです。
だからこそ彼は復讐鬼という道へ走らず、罪を償いながらも人間として踏みとどまりました。
1つの悲惨な事故から生じた悲劇へのけじめを如何に丁寧に行うかにローマンの人間性が詰まっています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は非常に後味の悪さが残る作品ということもあり、評価はあまりよくないようです。
しかし、現実にはこうした後味の悪い理不尽な事件などごまんと起こっています。
大事なのはその理不尽さに憤りながらも、如何に耐え忍んで前を進めるかにあるのです。
目の前の面倒くさいことから逃げ、負の感情から復讐へと走ってしまうのは楽でしょう。
しかし、そんな楽な道へ逃げても何も解決せず新たな負の連鎖を生み出すだけです。
どんな辛い出来事が起こって時に道を誤ったとしても、ローマンのように踏みとどまれるかどうかが大切です。