そんな鬼瀬と権瓦はその意味で非常に対照的な強さの違いがありました。
鬼瀬には奈緒と共に温かく明るい未来を作って夢を叶えようという立派な「守るもの」がありました。
逆に権瓦は「守るもの」を持たず平気で他者を利用し、かつて付き合っていた矢代でさえ捨ててしまいます。
つまり権瓦は鬼瀬が陥っていたかも知れない暗黒面そのものであり、ここで非暴力を選ぶ形で示しました。
同時に鬼瀬が示す真の強さとは“自分も他者も大切にし守ること”にあると示されているのです。
正にここに宗介が一度突き放す形で鬼瀬に示した真の強さが理想の形で具現化したのではないでしょうか。
このシーンにはそんな鬼瀬のヒロイズムが集約されているのです。
奈緒の自立
そしてもう一つ、奈緒の自立もまたこのシーンで大きく浮かび上がっていきます。
彼女も西垣に一度は嫉妬をしたり、また一度は矢代に女子のいじめから守って貰ったこともありました。
しかしそんな奈緒もまた目の前で鬼瀬がいたぶられるのは五年前の喧嘩の再来だったのでしょう。
あの時とは違いもう鬼瀬は奈緒に守って貰わなくても立ち上がれる強さを手にしていました。
だからこそ奈緒もここでヘタレだった過去の自分から卒業し強くなると誓います。
奈緒の「好き」という気持ちはこのシーンでやっと強さを持った「愛」へと昇華されていきました。
孤独からの解放
本作は王道のラブストーリーの裏に冒頭で述べた「孤独からの解放」があることが窺えます。
鬼瀬も奈緒も西垣も、そして三咲も矢代も共通していたのはどこかで心の内に「孤独」を抱えていたことです。
それ故に閉じきっていた世界が友達付き合いなり恋愛関係なりといった形で解消されていきます。
その為に大事なのは最初の一歩を踏み出して話しかけること、思った言葉を現実にし行動すること。
これだけだとシンプルではありますが、しかしそのシンプルなことこそ実行し続けていくのは大変なものです。
その大変だけども尊いことを実践し続けることで鬼瀬達は人生を劇的に変えることが出来ました。
だからこそラストシーンで鬼瀬と奈緒が結ばれるカタルシスは非常にロジカルに成立するのです。
守ること
本作では全体を通して「守る」という言葉が強調されていました。
その「守る」とは単なる騎士道のようなフェミニズムではなくもっと深い所にある本質的なものです。
自分を愛し、他者を愛し、そしてまた何も犠牲にすることなく全てを手にして自立を果たすこと。
凄く理想論めいた話ではありますが、元々恋愛ドラマだって理想を語ってナンボのものです。
しかもちゃんとその背景には彼らが自らの弱さと向き合い強くなるまでも描かれています。
確かに世の中には権瓦のように見せかけだけで強そうに生きている人は幾らでもいるでしょう。
しかし、鬼瀬と奈緒をはじめ本作で「強い人」として描かれている人達は自分の弱さを知っています。
弱さを知っているからこそ他者に優しく出来、そしてまた真の強さを手にすることが出来るのです。
単なる恋愛漫画の映画化に留まらない深い人生のエッセンスが凝縮された一作ではないでしょうか。