二人には性の壁だけではなく社会や家庭など様々な所から出てくる差別と偏見の壁がありました。

しかもそれだけではなく筋金入りの犯罪者たるジョンとトムからも性的虐待と殺人を受けることになったのです。

ブランドンもラナも生まれる前のどうしようもないことでとんでもないレベルの犯罪をその身に受けます。

心安まる暇など一分一秒もない、正に”戦争”という言葉が相応しい程に過酷な人生だったのです。

深い人間性への理解

そして決定打となったのはブランドンが卑劣なジョンとトムに強姦された後ラナにカミングアウトするシーンでした。

ここで小さい頃からの苦しみを聞いたラナは世間の誤解や偏見に惑わされず「私も完璧じゃない」と抱きしめます。

単なる性的な愛ではなく、もっと奥深い部分にあるブランドンの人間性への理解をこのシーンで示したのです。

ラナの母はレズビアンに洗脳されたといっていましたがそれも違っており、あくまでもブランドンの性自認は男。

つまり一人の「人間」としてブランドンの弱さや強さを丸ごとラナは受け入れました。

だからこそ二人の愛はこの瞬間に性を超えるものとなりえたのです。

“性”の意味

あっ!そうなんだ!性と生―幼児・小学生そしておとなへ

こうして見ていくと、そもそも“性”とは何かという根源的な問題へと辿り着きます。

読んで字の如く性という漢字は「心で生きる」と書き、その人の心の生き様を表わすものです。

この点から見ても、ブランドンとラナは正に「心で生きた」二人だったのではないでしょうか。

だからこそ社会や家庭など周囲がもたらす差別と偏見を乗り越えた愛を一瞬でも勝ち得ました。

自分の心に素直に生きること、それこそが”性”の本質的な意味であると二人を通して見えてきます。

「男らしさ」「女らしさ」とは所詮偶像

女らしさ・男らしさ: ジェンダーを考える (心理学ジュニアライブラリ 07)

決して美しいとまではいえないものの、ブランドンとラナの愛は一つの真実を教えてくれました。

それは世間一般がいうところの「男らしさ」「女らしさ」が所詮は偶像でしかないということです。

そうしたジェンダー(社会的性)はまだまだなくなっておらず、選択の自由も保証されていません。

ブランドンとラナの愛は命がけでその社会構造が持っている偶像性を現実に示しました。

社会には様々な人の想いがあって、その想いが交錯する中で生きているのです。

だからこそ私たちは誰一人としてブランドンとラナの愛を笑ったり否定したりする権利はありません

そうしてしまえばそれはジョンやトムと変わらない卑しい人間だということを意味します。

 LGBTは病気・障害ではない

私の中の私: ある性同一性障害当事者の日々

本作は性同一性障害を真っ向から扱った最初の作品として未だに語り草となっています。

本作は社会の壁をものともせずLGBTが病気・障害ではないと力強く訴えてくれました。

だからこそその後「金八先生」も含む様々な性的少数派を扱った作品が生まれたのです。

今社会全体の価値観が根本からガラリと変わろうとしています。

そうなると、恐らくはLGBT・性的少数派への見方も大きく変わっていくのではないでしょうか。

しかしそれは一朝一夕に成し遂げたものではなく先人の様々な苦労と挫折の積み重ねの上にこそ成り立ちます。

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