果たしてここから読み取れるお金の本質とは何なのでしょうか?
弱肉強食
まず一つが富裕層と貧困層の経済格差が弱肉強食であることへの批判です。
力なき弱き者は力のある強き者に付き従うか仰ぎ見るかのどちらかしかありません。
ラモーナとデスティニーはそのどちらにもなれず「力なき弱き者」から抜けられなかったのです。
リーマンショックで散々味わった世知辛さも含んでいるからこそよりその構図に説得力があります。
ご都合主義な民衆への批判
ストリップショーとお金、共通しているのはどちらも民衆が奥底から欲しがるものであることです。
しかも努力で手に入れるのが嫌だから楽して手に入れようとするご都合主義まで似ています。
そうしたお金なり女性の裸なりといった都合のいいものを心の拠り所にしたがる姿勢を批判しているのです。
お金持ちはそうした弱者の心理につけ込んで巧妙な手口で画策してお金を奪い取ろうとしています。
自分が奪われる側にも、そして奪う側にもなったことがあるからこその台詞です。
金の切れ目が縁の切れ目
そうした物欲に基づく”奪い取ろう”の精神は最終的に“金の切れ目が縁の切れ目”に陥るのです。
お金でしか成り立たない関係とは即ちそのお金が切れてしまったら即縁の切れ目となります。
実際ラモーナもデスティニーも家庭と仕事の双方で何度も絶縁を経験してきました。
そして二人の縁が一度逮捕という形で切れたのも詰まるところはお金が切れたからです。
その愚かしさが本作の物語を通して突きつけられ、最後にこの台詞に集約されています。
お金とは”持つ”ものではなく”預かる”もの
こうしてみると分かるのはお金とは”持つ”ものではなく”預かる”ものであるということです。
自分の収入は誰かの支出によって支えられており、仕事で得たお金も自分の所で預かっているに過ぎません。
何故”預金”という言葉や支払いの時に”お預かりします”という言葉があるのかもそういう理由です。
しかし、ラモーナとデスティニーはお金を”持つ”ものであると考えていました。
そのような考えの者が本当の意味でのお金持ちになることなど出来ないのです。
お金はあくまでもクレジット(信用)で成り立っていることを忘れてはいけません。
お金に騙されない為に
リーマンショックをモチーフにした本作は一つ大切なことを教えてくれました。
それはお金に騙されない為にはお金とビジネスへのリテラシーが必要だということです。
その上で賢くなって金持ちに騙されないようにしていくしか方法はありません。
ラモーナとデスティニーはそこを履き違えたからお金に振り回され失敗しました。
しかし、一歩間違えれば誰しもが簡単に彼女達のようになってしまう危険性があるのです。
その理不尽な縮図をドラマとしてしっかり再現した本作は“お金とは何か?”に深く迫った名作でしょう。