スタンリーは結局映像には映りませんが、明らかに犬の声が2つ重なっています。
つまり、トラヴィスが見ている夢の中でスタンリーは、他の犬(野犬又は狼)と遊んでいるか喧嘩しているかしているのです。
また、ここでもスタンリーについて「分からない」状況を作り出し、観衆に対して恐怖を植え付けようとする製作側の意図も見えます。
ミステリー小説の名作より
ミステリー小説の巨匠エドガー・アラン・ポーが描いた『赤死病の仮面』に、本作は似ている部分が多くあります。
こちらの作品は、赤死病の化身の男が舞踏会に紛れ込み、結局ここから病気が蔓延してしまうというストーリーです。
この外部からやってくる赤死病の化身の男こそ、本作の中のスタンリーの役割だったのかもしれません。
結局スタンリーが森へ消えて帰ってきたシーンから、本作の物語は一気に雰囲気を変えました。
つまりスタンリーが森へ消えるのは、恐怖を抱えてやってくるための布石だったのです。
森へ消えて何をしているのかも「分かりません」。先述したように「分からない」が人にとっての一番の恐怖。
失踪理由が判明しないスタンリーが、理由も分からず血だらけでそこにいる。これがポールの家の住民に恐怖を与えるきっかけでした。
もしかすると、ただ他の犬との喧嘩で負けて大怪我をしていたの「かも」しれません。
しかし、恐怖過敏症のポールが、それを「病気」だと決めつけることにしたのです。まさに、恐怖の派生です。
ドアを開けたのはトラヴィス?
映画の中でも大きな謎の一つが、スタンリーを発見する直前、赤いロックをかけているはずのドアが開いていることです。
映像の中でも確かに、トラヴィスがスタンリーを見つける直前にロックは解除されています。
では、一体誰がそのロックを外しているのでしょうか。
夢遊病らしきトラヴィス
トラヴィスは、何度か悪夢にうなされています。
それは、自分の部屋にいないはずの、ウィルの妻であるキムがいたり、夜にランプを片手に森を徘徊するなどさまざま。
ポールは一度アンドリューの夢遊病を疑いますが、それはおそらく息子トラヴィスが夢遊病らしき行動をしているからです。
家族を守るのがポールの一番の関心事であることからも、トラヴィスが夢遊病であることを認めれば、ドアを開ける疑いをかけてしまいます。
当然そうなるとトラヴィスを殺さねばならないため、ポールは夢遊病の責任をアンドリューに押し付けるのでした。
つまり、トラヴィスが夢遊病の間にドアを開けている可能性があるのです。
いつも夜に徘徊
悪夢を見るためか、夢遊病のためか、スタンリーの発見、アンドリューの発見、ドアロックの発見、ウィル一家の逃亡話の発見…
いつも夜に家を徘徊して、何か事の種を発見するのはトラヴィスです。
これは、夢遊病で無意識のうちに徘徊し(もしかすると外へ出ている可能性も)、その中で意識すべきことを見つけるからです。
そして恐怖がやってくるのはいつも「夜」(タイトル通り)。夢遊病で徘徊するからこそ、夜にやってくる恐怖を見つけます。
そう考えると、当然ドアが「ロックされていない」恐怖も、トラヴィスが発見するのは当然で、意識しない自作自演なのかもしれません。
つまり夢遊病のトラヴィスは、自らの手で恐怖を作り出してしまったのです。
考察すればするほど恐怖が派生する
このように考察し、あれこれ考えて恐怖を派生させていることも、製作側の意図なのかもしれません。
たった一つの「謎の」病気が、映画の中だけでなく、現実世界においても「分からない」ことの恐怖を派生させます。
また、ある意味コロナウィルスによって社会が混乱したことは、本作が示した恐怖の内容の一部だったのかもしれません。
考えれば考えるほど、私たちの「分からない」は増え続けます。
「分からない・得体が知れない」の増加=恐怖の増加。その点において、本作が描き出した恐怖は、いろいろな答えがありそうです。