果たしてラストで始まった新生活には何の真意があるのでしょうか?
親の背中を見て育つ
まず一つには上述したベンから受け継いだものにもいえますが、子供は親の背中を見て育つものです。
蛙の子は蛙といいますが、特にボウの一人旅は正にベンの背中を見てきたからこそでしょう。
ベンから自立を果たしたとはいえ、彼の全てを否定したわけではないのです。
だからベンの教育方針が間違っていたわけではなく、子供達に心身共に自立出来る強さの源になりました。
親の知らない間に成長する
二つ目に、子供達の成長は全てベンの知らない形でいつの間にか描かれています。
子供が成長する時は親の意思とは無関係な所で行われるもので、大学受験などがそうでしょう。
ベンから大事な精神は受け継がれているとはいえ、自立のタイミングや形はそれぞれに違います。
そうやって家庭というのは少しずつ少しずつ離れていくように出来ているものなのです。
一見相反する“継承”と”自立”が本作では矛盾しない形でごく自然に描かれているのが見事でした。
どちらの考え方も正しい
ポイントとして押さえておきたいのはベンの教育も学校教育も否定されてはいないところです。
ベンやレスリーの提唱した大自然の中での厳しい生活の日々があったから子供達は早くに自立が出来ました。
しかし一方でそんな子供達の自立は両親とは違う外の世界の学校や一人旅などといった形で表現されています。
つまりどちらかが正しいのではなく、段階に応じた教育の形を選べば良いという描き方になっているのです。
そのことを強調し、バランス良く教育の在り方を見直したのが本作の結末ではないでしょうか。
タイトルの真意
さて、本作は日本語だと「はじまりへの旅」、原題が”Captain Fantastic”でだいぶ意味合いが違います。
日本語での意味は文字通りキャッシュ一家の子供達が自立し、新しい人生を始めるまでの物語です。
“Captain Fantastic”は「風変わりなキャプテン」というベンのおかしさを茶化したタイトルになっています。
どちらも非常に正鵠を射たタイトルですが、共通しているのはキャッシュ一家への愛情です。
監督をはじめスタッフ・キャストが役を大切にし、しっかり向き合っていることが窺えます。
そしてその作品への愛がそのまま原題の意味となって現われているのではないでしょうか。
家庭教育も学校教育も選択肢の一つ
本作が全体を通して描いたことは実は凄く普遍的で何も難しいことはありません。
それは家庭教育も学校教育も結局は選択肢の一つでしかないということです。
現在は家庭も学校も教育の場所として上手く機能していないという問題があります。
そのような風潮の中で見失っている家庭と学校のあり方について見直したのが本作ではないでしょうか。
だから設定はトリッキーでありながら、ドラマのエッセンスは凄く深い所を突いています。
だからこそ数多くの賞を受賞するほどの名作として語り継がれる作品となったのです。