歌詞の内容はいうまでもなく新しい恋人を作って浮気したデイヴへの恨み節です。
特に次の歌詞はそれが露骨に表現されています。
We finally find this
Then you’re gone
Been chasin’ rainbows all alone
And you have cursed me
When there’s no one left to blame
And I have loved you just the same引用:はじまりの歌/配給会社:ポニーキャニオン
そう、やっと近づけて分かり合えたと思ったらまたもや裏切られてしまうのです。
ここまで露骨な歌詞も凄いですが、しかしデイヴは非難されてもおかしくないことをしています。
挙句の果てまた都合良く戻ってくるのですから男の風上にも置けない存在でありましょう。
本来の魅力が感じられない新曲
デイヴへの恨み節が特に露骨に現われたのがデイヴが再会したグレタへ聴かせた新曲です。
ここでグレタはデイヴへ彼本来の持ち味が消されてしまった曲であると指摘します。
個人的事情で恋人を捨てながら平気で新曲を持ちかけるデイヴの無神経さへの苛立ちでしょう。
デイヴは典型的な人間としては破綻しているが音楽家としては一流という変人です。
だからこそトップスターになれる資質があったし、元からグレタとは合わなかったのではないでしょうか。
痛みを痛みとして刻み込む
この留守電一番の特徴はグレタが失恋の痛みを痛みとして体に刻み込んでいることです。
普通であればもっとスマートに消化し、過去の懐かしい思い出として精算しているでしょう。
しかし、そんな痛みを決して忘れることなく露骨に出すというのがグレタらしさに満ちています。
彼女は変に器用さを纏った大人になるのではなく自分の気持ちに正直に生きていきたいのでしょう。
だからこそ怒るときは怒るし笑うときは笑う、全ての気持ちへ真っ直ぐに向き合っていきます。
こうした等身大の恋愛ならではの痛みを引きずっているのは本作のリアルな所です。
誰にも寄りかからないグレタ
さて、グレタは他者との関わりの中で自身の音楽を具現化するので一見他人に依存しているようです。
しかし、それとは正反対に彼女の精神は決してデイヴにもダンにも寄りかかっていません。
だからグレタは決して傷の舐め合いなどせず、同じ失恋の痛みを味わったダンを慰めもしないのです。
だから、グレタはあくまでもグレタとして生きていくという個人の尊厳が遵守されています。
決して誰かが正解ではなく、三者三様の生き様がしっかり独立して描かれているのです。
この誰にも寄りかからないサッパリした所がグレタを後味悪くなく見せている所でしょう。
全てが人生の一部
こうして見ていくと、本作は痛みも喪失も浮気も全てが人生の一部として描かれています。
だからグレタとダンの生き様が絶対の正解ではなくデイヴもデイヴで音楽家として大成するのです。
どちらの生き方が正しいのではなく、単なる音楽に対するスタンスの違いではないでしょうか。
だから絶対の正解などはなく、関わる人全てがグレタの人生の一部として構成されているのです。
それをあくまで前向きかつ爽やかに描いたところに本作の魅力が詰まっているのではないでしょうか。
誰の生き方も否定せず人の数だけ生き方や音楽があることを示した実に深い名作です。