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オダギリジョーが演じるフレディ前村ウルタードが、キューバ革命のもと見せつけた生き様を描く『エルネスト もう一人のゲバラ』。
阪本順治監督がメガホンを取り、日本とキューバの合作で作られ2017年に日本で公開された映画は、深く考えさせられるものでした。
まずは何といっても、日系2世のフレディがボリビアの軍事クーデターに際して、なぜ革命支援軍に志願するのかということ。
そこにはキューバ危機以降、チェ・ゲバラやフィデル・カストロの考えに触れることが関係しているようです。
また、兵士として志願するためには、大学を辞め、奨学金を辞退しなければなりませんでした。
なぜ奨学金を辞退してまで、その道を選ぶのでしょうか。
そしてラストでは拷問に耐え、仲間の名前を言うことはありませんでした。なぜ絶命してでも、拷問に耐え続けることができたのでしょうか。
今回はこれらのことについて、もう一人の「英雄」の背景を考察していきます。
ゲバラのカリスマ性
映画作品内ではチェ・ゲバラは、かなりのリーダーシップを発揮しており、その言葉の一つ一つに重みを感じます。
フレディもゲバラの言葉に「自信の大きさ」を感じており、それを感じさせる理由を聞きました。
フレディが革命支援隊入隊を志願するのには、第一にゲバラのカリスマ性に惚れた、ということが挙げられそうです。
怒りと憎しみの違い
フレディが自信家な印象を受けるゲバラに対して、なぜそこまで自信を持っているのか聞きました。するとゲバラはこう答えます。
私は常に怒っているのだ。憎しみから始まる戦いは勝てない。
引用:エルネスト もう一人のゲバラ/配給会社:キノフィルムズ
怒りと憎しみの違いとは何でしょう。怒りは、不服に対して反撃する原動力となり、目標達成後はなくなります。
一方憎しみは抱いている限り、憎しみとして残り、相手を消すことができても残り続けるものです。
それらの違いを教え、革命家としての信条をゲバラはフレディに伝えました。その時、フレディは言葉の意味を理解します。
それでもゲバラからは、未熟だと指摘されますが、フレディはこの時ゲバラに対して心酔したのです。
そのゲバラのように生きたいと思い、革命支援軍に志願するのでした。
ゲバラのように生きたい
フレディがゲバラの生き様を心酔し、憧れを持っていることを吐露するシーンがあります。
それは、いよいよボリビアでの作戦に同行できるか、ゲバラとの面接をしている時に発言されました。
あなたのようになりたい
引用:エルネスト もう一人のゲバラ/配給会社:キノフィルムズ
フレディは、このシーンでゲバラに軍医として作戦に参加するのか、と聞かれますがそれを断ります。
もともと医者を目指していただけでに、通常ならば軍医というところでしょうが、フレディがそうしないのはゲバラのように生きたいから。
まさに、チェ・ゲバラというキューバ革命を率いた革命家の生き様を映した「もう一人のゲバラ」なのです。
フレディとゲバラの共通点
片方は革命の指導者。もう片方は大学で医療を志す。
まったく違う二人のようですが、一方で大きな共通点があります。
そこは人として大事にすべき部分であり、フレディがゲバラを心酔する一つの要因となっていました。
どちらにも愛すべき人(家族)
映画はあくまでフレディを主人公としているため、ゲバラの様子はあまり写されません。
しかし実在のゲバラには、愛すべき家族がいました。そしてフレディにも、正式な家族ではありませんが愛する人と子どもがいます。
つまり二人とも、守るべき家族や愛する人がいるのです。それでもなお、革命家として命をかけた戦いを行います。
フレディは、愛する人からいつ消えるか分からないにも関わらず、革命を志すゲバラに憧れたのです。
実際ストーリーでも、フレディは同志である友人や愛したルイサに暗に別れを示す言葉をかけます。
その辛さを抱えて革命支援軍の一員となることで、フレディはゲバラに一歩近づけると思ったのです。
医者を目指したことも共通点
ゲバラには「革命家」であり「軍人」というイメージが強いですが、医者であったというフレディとの共通点があります。