この点においても、フレディにとってはゲバラと自分を重ね合わせる共通点になりました。
共通点が多いほど、人は相手に信頼を寄せるようになります。その共通点が、自分というものを作り出す上で重要であればあるほどです。
愛する人・元医者という重大な部分が共通したからこそ、フレディはゲバラに憧れ、革命支援軍に入隊するのでした。
ベラスコ(最初の同室者)のラブレター
最初の寮での同室者は、当初意見が合わず、フレディが気になっていたルイサを先に奪ったベラスコでした。
このベラスコがルイサにラブレターを送るとき、フレディに愛の言葉を求めます。
君となら一緒に死ねる
引用:エルネスト もう一人のゲバラ/配給会社:キノフィルムズ
友人のために送ったこの言葉は、実はフレディ本人の心情にも投影されているのです。
フレディにとっての「君」は、ルイサでも学友でもなくゲバラに宛てられた思いなのでした。
映画内でもあまりにもふと出てくるこのワンシーンには、いずれこの言葉がフレディに返ってくることを示唆しています。
戦地での本名
映画ラストでフレディがボリビア軍に捕まり殺されるシーンでは、拷問を受けながら他の兵士の名前を問われます。
結局拷問を耐え抜き、名前を教えることはありませんでしたが、フレディがそうできたのは戦地での本名の重要性を分かっていたからです。
というのも、ゲバラとの面接を行っているとき、自分の本名を捨て新しい名前を決めるように促されます。
名前がバレれば、その人の素性や出身などがバレる可能性があるからです。それを敵に教えてしまうと、余計被害は広がります。
同志として集まった革命支援軍への想いが強いからこそ、フレディは拷問されても名前は絶対に明かさないのでした。
覚悟が違う
殴られ、切りつけられ、自分が小さいころに優しくした相手にも銃口を向けられ、拷問を続けられたフレディ。
それでもなお、拷問を耐え抜いたのは覚悟の違いからでした。
自分のすべてを置いてきた
先述したように、フレディには愛する人がいました。この革命支援軍への従軍は、愛する人以外にもすべてを捨て去らなければなりません。
それは医者という夢であったり、友人であったり、はたまた自分の本名(ゲバラとの面接で改名しエルネスト・メディコとなる)などです。
つまりすべてを捨てて革命運動に参加しているため、覚悟の強さが尋常ではないフレディなのでした。
フレディにとって、拷問による身体的な苦痛は、持てるものすべてを置いてくる苦しみよりも軽かったのでしょう。
だからこそ、フレディは拷問に耐えることができたのです。
死を覚悟した
拷問の最中に相手が欲する情報を言うということは、それによって自分を解放してほしいという思いが働くからです。
一方フレディは、拷問中にエルネスト・メディコではなく、自分の本名であるフレディ・前村・ウルタードを名乗ります。
死ぬ覚悟ができた時だけ、本名を名乗ればいい。両親の子として
引用:エルネスト もう一人のゲバラ/配給会社:キノフィルムズ
これは、ゲバラとの面接の際にフレディが言われたセリフです。
つまりフレディが、拷問中に自分の本名を言うのは、死ぬ覚悟ができたという合図でもありました。
死の覚悟ができたのであれば、もはや死を待つだけ。味方の身元や名前を教える必要はなくなります。
それができたのは、ゲバラから言われたこの一言があったからです。
心酔しているゲバラのセリフに忠実に生きた様子をこのシーンでは表しています。
死ぬことは何となくわかっていた
革命運動に兵士として参加する危険性は誰もが分かっていますが、フレディにはそれとは違う「自分が死ぬ」イメージができていました。
ボリビアに行く直前、フレディが幼少期に溺れた川の中の様子と、ホルマリン漬けにされる若い遺体の映像が交互に映されます。
フレディ自身も、溺れたときの夢を見てしまうことを語っていました。
つまり死を予見していたのです。先述したように、死を覚悟した人は強く、拷問に負けることはありません。