予見していた死なので、フレディはいきなり覚悟を決めたわけではないのです。
長期的にも死を覚悟していたからこそ、拷問に負けることはなかったことが分かります。
奨学金を辞退「しなければいけない」
フレディがなぜ奨学金を辞退したのか。
それは、従軍への強い思いが医者を志す思いよりも大きくなったからだと判断できます。
つまり医者の道を諦めるので、奨学金を辞退「しなければないけなかった」ということです。
奨学金が配布されるための制度
キューバでは、外国からの留学生に対して奨学金を与え優秀な医療者を大学で育てる制度がありました。
それによって、留学生たちでも医学を学ぶことができるのです。そして、もし在学中に母国へ帰ることになると、奨学金は打ち切られます。
奨学金を与える側から見れば、途中で大学を去るのであれば奨学金を与える意味がありません。
当然ボリビアに帰ることを告げたフレディに、奨学金を与えることも制度上不可能な話になります。
つまりフレディは、奨学金を貰いながら医学の道を究めるよりも、革命の一員としてボリビアを助けることの方が大事だったのです。
共産主義の理想を広めることの意義
キューバ政府や大学が奨学金を与えるのは、それによって恩恵を受けた人たちに共産主義の思想の良さを感じてもらうためです。
カストロやゲバラが目指しているものは、共産主義の広まりとアメリカのような武力で圧力を加える国々への反撃です。
キューバでその恩恵を受けた人が、母国へと帰り共産主義の良さを広めることを期待して、本奨学金制度が作られていると思われます。
とすると途中で母国に帰るフレディは、目的から外れる人物に当たる(制度上。実際はその逆だが)ので、奨学金が配布できないのです。
大学側もボリビアに行かないで欲しいと思っていますが、フレディの決意は固く、奨学金の辞退、はたまた大学の退学も覚悟しています。
ここまでなれば、奨学金を辞退するのは当然のことです。
理想の国>自分の人生
すべてを投げうち、理想の社会を実現するため、フレディは自分の人生すらも捧げました。
当然医者になることを夢見て、ハバナの医療系大学に進学したはず。
しかしキューバ危機により、革命運動が激化する中、フレディは自分にできることを探した結果、兵士になることを選んだのです。
医者の道を諦めるということは、当然奨学金の辞退が条件でしょう。
むしろ奨学金による医者の道よりも、母国ボリビアで苦しむ人を助け、理想の国を建国するための礎となることを選んだフレディ。
フレディにとって奨学金を受け取ることよりも、理想国家を建国することの方が一大事なのでした。
革命家の背景を映し出す
『エルネスト もう一人のゲバラ』は、映画などでもよく注目される「チェ・ゲバラ」ではなく、日系ボリビア人に焦点を当てた映画です。
革命家としてのゲバラと同じく、フレディもゲバラと同じ背景があり、理想がありました。
見果てぬ夢を見て、何が悪い
引用:エルネスト もう一人のゲバラ/配給会社:キノフィルムズ
フレディは理想を見続けたからこそ、その実現のためにすべてを捨てて革命支援軍に加わるのでした。
そしてラストシーンでは、以前ゲバラを取材した記者が、広島の路面電車の中で新聞に載る「ゲバラ死亡」の記事を見ています。
記者の後ろには、アメリカとの協力の元資本主義国として大成した日本の広島に住む、高級そうな服を着てお菓子を食べる女性がいます。
映画内容と電車内の光景の対比に、皮肉めいたものを感じさせるシーンです。
革命家が志したものは何だったのか、歴史をもう一度勉強し本作を観直すと、より一層フレディの想いが理解できると思います。