色々な可能性が考えられますが、ここではあらすじを整理しながら彼女の行方を類推していきましょう。
ベンに殺されたのか?
まずヘミの行方で一番気になるのはベンに殺されたのか?という疑問ですが、その可能性は限りなく低いでしょう。
ゼロではありませんが、もし本当にベンに殺されたなら自室は焼かれ死体となって発見されていると思われます。
しかも彼女はわざわざアフリカへ一人旅に行き二種類の飢えを表現するダンスを習得して帰ってきたほどです。
為す術もなくベンに殺されるような大人しい人ではないこと位読み取るのは難しくありません。
時計や猫をベンに与えたのも経済力のあるベンに持っていて貰った方が安全だと知っていたからでしょう。
ジョンスの心を得られないから
ヘミが借金を抱えながらアフリカへ行き、整形してベンへ靡いたようにみせたのもジョンスの気を引くためです。
つまり彼女はまず外面から変えることでジョンスを男気のある人に変えようとしたのではないでしょうか。
しかし、それが逆効果となり上半身裸で踊ってもジョンスの正論に基づく説教しか帰ってきませんでした。
ヘミはここで初めて今の自分ではジョンスの心を得るほどの魅力を持ち合わせていないと気付いたのでしょう。
その為にはまず一度全てを捨てて借金返済へ没頭する所から頑張る生活を志したと読み取れます。
本当の”飢え”を経験するため
そしてもう一つ、ベンが殺したのではないと思われる根拠としてヘミと家族との別れが挙げられます。
ヘミは自身がいっていた“グレートハングリー”になるために行方をくらませたのではないでしょうか。
人生本当に豊かになるためには一度徹底的に自分をどん底にまで追い込む必要があるといわれます。
それはお金や物質の多寡ではなく己の精神面を鍛え上げるような経験をどれ程したかということです。
ジョンスの隣に居るためにはジョンスと同等かそれ以上の孤独を経験しないといけないと思ったのでしょう。
その結果ジョンスが一方的な勘違いでベンを殺してしまったのは何とも皮肉なものですが…。
“豊か”であるとはどういうことか?
本作で三者の関係を通して問われているのは意外にもストレートに“豊かさ”とは何か?ではないでしょうか。
貧乏なジョンス、豊かなベン、そして豊かさを履き違えた貧乏のヘミと三者とも”豊かさ”を分かっていません。
お金やステータスがあることが決してその人の精神的幸福度を保証するものではありません。
しかし、だからといって貧乏な人が豊かさを主張してもそれは負け犬の遠吠えでしかないのです。
それをあくまでも淡々と三者の関係を通して描き、一人一人の解釈に委ねているのが面白くもあり難しい所。
単なる経済格差といった社会問題に留まらない若者が抱える本質的な問題点を非常に上手く突いています。
常に問い続けること
こうして見ると、本作は明確な答えはなく問い続けることの大切さを描いた作品ではないでしょうか。
ジョンはヘミやベンを通して作家である為には常に問い続け、行動に移す大切さを知りました。
それがラストのベン殺しという極端な形に発露しただけで、ジョンは常に世を俯瞰し問い続けています。
結局世界が面白いのかつまらないのかは本人の認識と行動が全てを決めるといっても過言ではありません。
そのような常に世の中へ何かを問いかける名作として、本作は今後も映画史に残り続けていくでしょう。