実際のシーンは少ないものの、序盤のゲームからリタイアしたのは死体からしっかりと伝わってきます。
変化したラストゲーム
ジョンとローガンのラストゲームは大きく違います。
ジョンのゲームには、ゲームの意図を汲んでクリアすれば開放されるという救いがありました。
しかし、ローガンのゲームは相手を救う気の無い殺人ゲームです。
ローガンは、ハロランに罪を告白させて録音すること、妻の復讐として彼自身を殺すことを目的としていました。
ただし、ラストゲームに自分を組み込んだ辺りには自分自身にハロランを許せるか試す意図もあったのでしょう。
ジョン同様に相手を許すことで次に進むか、ハロランを殺してジョンとは違う【ジグソウ】に成るかの分岐点です。
結果としてローガンはハロランの告白を聞いた後、自分の正体を明かしたうえで彼の装置を起動します。
ジョンとは違う結末を導き出すことで、彼は新たな【ジグソウ】として一歩を踏み出したのかもしれません。
「ゲームオーバー」は誰が言った?
シリーズを通して絶望を与える決め台詞だった「ゲームオーバー」。
10年後を舞台とした本作では、作中で使われることはありませんでした。
俺は死者の代弁者だ
引用:ジグソウ:ソウ・レガシー/配給会社:アスミック・エース
ローガンはこんな台詞を残して扉を閉めます。
ジョンが存在しない世界を舞台に繰り広げられた殺人は、この締めくくりの言葉で新たな【ジグソウ】誕生を確立したのです。
ジョンの新たな後継者
ローガンはジョンの最初のゲーム被験者の1人です。
しかし、ジョン自身が犯したゲームプレイ上のミスによりローガン自身が彼の後継者となりました。
ジョンは悪意の無いミスで死ぬことは無いと俺に言い、第2のチャンスをくれた。
そして、10年後… 俺が罪人を集め彼のゲームを再現した。
引用:ジグソウ:ソウ・レガシー/配給会社:アスミック・エース
ローガンのセリフからは、後継者になるに当たり何かしらの試練を潜り抜けたことが考えられます。
「第2のチャンス」とはいったい何だったのか、単にゲームのミスから救われただけではゲームの趣旨とは異なります。
死を乗り越えて新たな生へとたどり着いてこそ、ジョンという【ジグソウ】が与える真の更生なのです。
新たなジグソウの形成
俺は自分を試したかったんだ、彼になれるか
引用:ジグソウ:ソウ・レガシー/配給会社:アスミック・エース
10年前のゲームでローガンはジョンの後継者になりました。
しかし数年前に起こった妻の死により、ローガンは復讐と救いの狭間で自分を試します。
自身をゲームの参加者にした辺りには自分の心理を試す部分もあったのでしょう。
ジョン : 怒りや復讐だけじゃ 人は生きられん
ローガン : 正義などはどこにもない
ジョン : いや存在する。死者を代弁するんだ
引用:ジグソウ:ソウ・レガシー/配給会社:アスミック・エース
この会話によってローガンは【ジグソウ】ゲームの新たな可能性に気づきます。
死者の言葉を代弁し、不正を淘汰する存在。
それが、自身を後継者だと認めたうえでゲームを始めたローガンの新たなジグソウの姿なのでしょう。
シリーズを通しての重要性
「ゲームオーバー」という言葉は「SAW」シリーズを通して絶望を与えると共にキラーの勝利を突き付けるキーワードでした。
被験者の死を確定するセリフであり、誰が【ジグソウ】なのかを明確にしている言葉でもあります。
ただし、本作のラストシーンではローガンによる「ゲームオーバー」はありませんでした。
彼が最後に残す「死の代弁者」という言葉は、新たなジグソウの存在を示しつつジグソウの終わりも感じさせます。
シリーズの後続を考えると「死の代弁者」として登場する【ジグソウ】は、犯罪被害者による復讐を被験者に与える存在になりそうです。
「ゲームオーバー」という言葉を使わないことは、ジョンの思想とは違った理念を表しているのではないでしょうか。
最高峰のソリッドシチュエーション・ホラー
「ジグソウ・ソウ・レガシー」は、ソリッドシチュエーションホラーとしてシリーズの魅力を引き継ぐ作品です。
時系列の展開の面白さは初代「SAW」を彷彿とさせるものがあり、グロさを強調した後半シリーズと上手く融合されていました。
ロジックとグロさのバランスの良さはシリーズの中でも群を抜いており、ファンを納得させる面白さがあります。
一度は終焉を迎えた「SAW」シリーズの続編は、新たなジグソウを据えて次のゲームを期待させる作品となったのです。