これまでの流れを踏まえながらこの気持ち悪い笑みを分析してみましょう。
世の中を舐めている
一つ目にこの笑みは世の中を斜めに見て舐めているにやけ顔であるということです。
ルーはなまじ処世術や会話力・頭脳面も高いだけに余計そのようになるのでしょう。
彼にかかれば警察のような国家権力だって簡単に騙し通せてしまう力があるのです。
止めようとしても簡単に避けられてしまう彼にはそうした世の中への見下しが感じられます。
人目が気になる
わざわざカメラに向けて笑みを向けるといいうことは人目が気になっている証拠です。
もしルーが本当の意味でプロの犯罪者ならわざわざ自ら不利になる行為はしないでしょう。
ここから見てもルーは行動自体は気持ち悪くても意外と人目を気にしていることが窺えます。
ニーナといいリックといいルーが相手を見て器用に立ち振る舞うことが出来るのもそれです。
だから彼は犯罪の当事者であると同時に傍観者でもあるのではないでしょうか。
承認欲求
そして三つ目にルーは何とかして自分を世の中に認めさせたいのではないしょうか。
人の目を気にしていることと合わせて彼はとても脆く弱い人なのです。
だからこそ犯罪行為や監視カメラへの笑みという形で自身の弱さを隠そうとします。
ラストで車二台を購入し、インターンを雇ったのも承認欲求の表れでしょう。
心からその車を好きなのではなく、物によって自分を認めさせたいのです。
成功者と犯罪者は紙一重
本作がルーやニーナを通して見せたかったのは成功者と犯罪者が紙一重だということです。
何故紙一重なのかというと、成功者になるためには義理人情よりも合理性が優先されます。
数字にこだわり利益を追求し、きちんと結果さえ残していけば成功者になれるのです。
しかし、それはルーのような大罪人の成功者も生み出してしまう可能性も孕んでいます。
正に憎まれっ子世にはばかる、ルーはそれを地で行く犯罪者として強烈に存在感を残しました。
結果が全て、とはいえ…
確かにビジネスの世界はどんな手段をもってしても結果が全てであり、その過程や方法は問われません。
そして成功者になりたいのならば下手な人情や綺麗事は時として邪魔になるのです。
しかし、だからといって犯罪者として一線を超えることをしてもいいのでしょうか?
個人の好きを仕事として出来るようになった今だからこそこういう負の側面もあります。
ルーの姿は決して特別なものではなく、利潤追求に走る人の誰もが陥る危険性があるのです。
犯罪で大成功するビジネスマンもいることをこの映画は現実として映し出しました。
決して万人受けはしませんが、犯罪とビジネスについて深く考えさせる良作でしょう。