正確には興味本位のいたずら感覚でこんな無神経な企画を実行してしまった彼らの心です。
今回の出来事が嫌がらせという立派な犯罪であることは火を見るより明らかでしょう。
少し考えれば簡単に分かるであろうことが彼らには分からないのです。
そうした想像力の欠如こそ本作で一番に示されている悪魔の正体ではないでしょうか。
アリソンは寧ろ被害者
結末だけを見れば、人を三人も殺したアリソンもあの形相から悪魔といって差し支えありません。
しかし、彼女の場合は寧ろ番組の企画によって悪魔にされてしまった被害者ではないでしょうか。
事前に利用規約に同意していたとはいえ、彼女が受けたのは度が過ぎた虐待紛いのドッキリです。
ああいうのはゲームに参加する前から本人に説明して了承を得ておかなければなりません。
その説明を省略された状態であの仕打ちを受ければ性格が歪んでもおかしくないでしょう。
だから厳密にいえば、アリソンは決して悪魔ではないのです。
個人の欲望が蔓延る社会
そしてもっと大きな問題として挙げられるのはこうした個人の欲望が蔓延る社会そのものです。
今回は警察からの規制がかからないように事情をひた隠しにしたり、日本人の取材も雑に扱っています。
そのような杜撰な管理体制をグレーゾーンとして許してしまっている社会にも問題があるでしょう。
昔に比べると個人の自由が尊重され個人視点から発する企画や仕事も増えたのは事実です。
しかしその反面、個人の自由を好き勝手と混同してボブ達のようなならず者まで生み出しています。
視野を広げれば本作の悪魔は社会そのものであることが容易に分かるでしょう。
人を傷つければ必ず自分が傷つく
手法こそ奇抜でしたが、構造がストレート故に最終的なメッセージもストレートに伝わります。
本作のメッセージは「人を傷つければ必ず自分が傷つく」というごく当たり前の、しかし大事なことです。
番組の企画とはいえ、人を傷つければそれは必ず何かしらの形でしっぺ返しが来ます。
パーディションスタッフはゲーム感覚で人の心を壊しておいて何の痛みも感じない連中でした。
もし、アリソンが反逆に出なかったらこの破壊行為は繰り返されていたのではないでしょうか。
仕事は金儲けではなく”価値”の提供
本作がビジネスの観点から示したのは仕事は決して金儲けではなく”価値”の提供にあるということです。
確かにどんなビジネスも数字にこだわり結果を出してナンボの世界ですから方法や過程は問われません。
しかし、ボブ達のように受け狙いに走る人達が陥ってしまうのは金儲けが目的化してしまうことです。
そういう人達は例外なく自分達の利益や収入がお客様の支出で成り立っていることを理解していません。
人を楽しませるという”価値”を提供する筈の体験ゲームで逆に苦しませ怒らせるのは本末転倒です。