一見ユマが母から逃げているように見えて、寧ろ逃げていたのはユマの親族の方だったのです。
秘匿されていた父の死
二つ目に5年前に既に死んでいた父の行方を父の弟がずっと隠していたからです。
父の弟の話だけを聞くとさも父が良い人のように聞こえますが、そうではありません。
一応ユマを気にかけていたとはいえ、父もまたユマと向き合うことから逃げた卑怯者といえます。
一見良い人のようで実は母や姉とそんなに大差ないことがこのシーンから窺えるのです。
コミカルに描かれていますが、あくまでも根っこはユマのせいで別れた家族と暗く描かれています。
そしてこの暗さの本質を追究すると一つの真実が見えてきます。
世間体と人の目
詰まるところ家族が気にしていたのは結局世間体と人の目といったことにあるのが窺えます。
風俗嬢の舞や介護士の俊哉がそうであるように、本作の好人物は挙って世間から非難される職業の人達です。
逆に一見健常者のようなアヤカや編集長、母達の方が遥かに差別と偏見に満ちた異常者ではないでしょうか。
そう、世の中意外とアンダーグラウンドな立場で生きている人達の方が差別や偏見がないのです。
社会的弱者と蔑まれるのが当たり前の世界で生きてきたからこそユマに優しく出来るのかも知れません。
ユマの出生が終盤で漸く明らかになるのも全ては勝手に作り上げた周囲の目がそうさせているのでしょう。
誰も否定しないラスト
そして、その上で素晴らしかったのはラストシーンで戻ってきたユマを母と編集長が受け入れたことです。
母はタイの姉の写真に感激し、またユマの漫画を否定した編集長は新しいユマの漫画を受け入れました。
確かに彼女達は悪役のように描かれていましたが、それはあくまでも一面に過ぎないのではないでしょうか。
人間は誰が善人で誰が悪人と割り切れるものではなく、誰しも良い部分と悪い部分の両方があります。
表面に出ている性格や言動・行動がそのどちらなのかという違いでしかないのです。
ラストのカタルシスは優しさと明るさ、温かさに満ち溢れたものとなりました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は描いてる題材も作風も目新しいものではなく、どこにでもありがちなものです。
しかしそのありがちなものこそ私たちが普段蔑ろにしているために形骸化しているのではないでしょうか。
本作は決して障害者を特別視することなく、障害者を通して差別や偏見と戦う人の生き様を描いているのです。
ユマは独り立ちを決意して自分の意志と仲間たちの力で自分を救い自分の人生を変えてみせました。
そしてそれは演じる佳山明の女優人生とも重なり、この映画は彼女の人生を変える一作となったことでしょう。
誰しもが人生の主役となり得る、そんな可能性を改めて見せてくれた名作です。