舞台となったアメリカでは、人種差別が歴史的な問題となり続いています。
本作で人間ではなくネズミを選んだ、という流れにも強いメッセージ性を感じるのではないでしょうか。
人間でならなければいけない理由などないのです。
『スチュアート・リトル』を既存の概念で観ると、ネズミが家族となるのは不自然です。
しかし、なぜネズミが家族ではいけないのか、という逆の発想で観ると違和感が薄れていくような気がします。
劇中に登場するリトル夫妻は、偏見も差別も持たない存在として描かれているのではないでしょうか。
アメリカでの養子縁組の背景
本作で出てくる養護施設ですが、日本ではあまり映画などに登場する場所ではありません。
養子を迎えることについて、日本とアメリカでは大きな感覚の差があるようです。
キリスト教の国
アメリカはキリスト教が中心の国ですが、キリストの教えでは中絶は殺人となり認められていないのです。
こちらに関しては賛否両論、意見の分かれるところですが…。
週によっては中絶を厳しく罰せられる場所もあるので、産んでから育てきれないという問題も多数上がっています。
その結果、養護施設に沢山の子供たちが入ることになってしまうのです。
積極的な児童保護
日本では、養子縁組制度は年間件数も少なくあまり利用されていません。
しかしアメリカでは、積極的な児童保護が行われており民間団体からの支援も厚いようです。
こうした背景により、毎年多くの子供たちが養子として新しい家族の元へ引き取られています。
劇中で描かれていた養護施設からの引き取りは、決して珍しいことではありません。
ジョージが弟だと認めた理由
スチュアートが家に来た時に弟と認めなかったジョージですが、なぜ結果的にスチュアートを認めたのでしょう。
彼にどんな心境の変化があったのか、探っていきます。
本人を見ていなかった
ジョージがスチュアートを弟として受け入れなかったのは、彼がネズミだからです。
ネズミとはキャッチボールが出来ない、一緒に遊ぶことが出来ない…。
ジョージはスチュアート本人を見ようとはせず、ただの「ネズミ」を見ていたのです。
弟と認めた瞬間
兄である自分の為に必死に頑張るスチュアートは、いつも前向きで自分がネズミだから、とあきらめたりはしません。
彼の頑張る姿を見てジョージは初めて、ただのネズミではなくスチュアート本人を感じたのではないでしょうか。