共感できる陽子は雅美を抱きしめることで、傷ついてきた雅美を癒し虐待から決別できる可能性を信じたからなのです。
岡野が扉を叩き続けた真意とは?
「サンタさんの来ない家」
児童虐待には継母や継父から受けるケースも目にします。実の親は見てみぬふりをしていずれ強い方の側に立って子供を虐待するのです。
神田さんは実の母親から育児放棄をされた上に同居人の男からも虐待をうけ、親から“悪い子”と思い込まされた子供です。
本当のお父さんじゃないけど、ママがそう呼べって言うんだ。お父さんは僕は悪い子だって言う…ママも
僕が悪い子だからうちには“サンタが来ない”って言う。僕が悪い子だから…どうしたら良い子になれるのかな?
引用:きみはいい子/配給会社:アークエンタテインメント
神田さんは毎日同じ服を着て上履きも汚れたままで、まともな食事は給食のみなのでネグレストの要因は充分に見受けられました。
岡野はスクールカウンセラーに相談をすると判断ができたのに、神田さんを危機にさらす「家族に抱きしめてもらう」という宿題を出します。
扉を叩き続けた先に
岡野は家族に抱きしめてもらうことで、子供の精神状態や行動が落ち着くと考えたのです。
しかし、神田さんの家庭事情を知りながらなぜ最後に宿題ができるかどうか確認をしたのでしょうか。そこに岡野の未熟さが見えます。
案の定翌日から神田さんは学校を欠席し、給食で楽しみにしていた“揚げパンの日”にも学校には来ませんでした。
岡野は自分の出した宿題が神田さんには間違いだったと気づき、彼の身に何かがあったと思い家に向かい部屋の扉を必死に叩き続けたのです。
ラストシーンに秘められた「わたしをみつけて」
映画は岡野が神田さんの家の扉を叩き続けたシーンで唐突に終わってしまい、神田さんが無事だったのかどうか気になってしまう形でした。
しかし、この話しには後日談がありました。それは原作者の中脇初枝氏がのちに出した「わたしをみつけて」という小説の中です。
神田さんが主役の内容ではありませんが、主人公の同僚という形で神田さんの母親が登場して岡野が訪問した後のことが描かれています。
「虐待」や「差別」の根深さがわかる作品
「虐待」や「差別」を伴う暗い事件がおきてしまう原因や要因はよく知られていますが、悲しいことに解決するまでには至っていません。
しかし、この映画を通してどうすれば虐待や差別で苦しむ人をみつけだすことができて、良い方向へ導くことができるか少しわかってきます。
例えば、オレンジリボン運動のようにオレンジリボンを着けることで子育てを暖かく見守り、手伝いをする意志を示すこともその一つでしょう。
また自分で自分をギュッと抱きしめて「きみはいい子」と言い聞かせるだけでも、優しい気持ちになれるのではないかと感じさせた映画でした。