更に出勤時、検問所でエイドリアンに妊婦のジョークでからかわれます。これも二人が既に男女の関係にあったことの示唆でしょう。
ただ、他の姉妹は気づく様子もありません。その可能性を想像すらしていないからです。
しかし妊娠して体型が変われば、毎日の入れ替わりはまず不可能に。
マンデーは、子どもを取るか姉妹を取るか、一人で決めなければならなかったのでしょう。
抑圧からの解放
残酷ですが、堕胎するという選択肢はあったのでしょうか。一人っ子政策が強制されている社会。確実に方法はあるはずです。
しかしマンデーはその選択をしませんでした。ここで、幼少時代の回想が有効に働きます。
サーズデーがスケボーで指を失い、連帯責任で指を落とされるシーン。描かれるのはマンデーでした。
月曜日が週の最初という理由で、彼女はいつもそうした扱いだったはず。優等生的役割を担わされた彼女の抑圧は、限界に達していたのでしょう。
なにより、恋人も子どもも、あくまでマンデー個人的なもの。
7人のカレンの共有物ではなく、自分だけのアイデンティティとなるものだったのです。
彼女はそれを他の姉妹のために切り離すことはもうできなかったのです。人差し指のようには。
ここには、抑圧され続けてきた人格の象徴として、マンデーでなければならなかった理由が見出せます。
正反対の二人のカレン
終盤、マンデーと対決するのはサーズデーです。二人の対決の意味を考察します。
予期されていた二人の決裂
冒頭の口論シーンで、二人の衝突が日常的なものであることがわかります。
他にも、子供時代の回想で注目したいシーンが。
ウィレム・デフォー演じる祖父に連れられ、緊張しながら学校に行くカレン。その日は木曜日だと明示されています。
初めて外の新しい世界に踏み込んだのは、マンデーではありませんでした。
マンデーにとって、一番手であることは重荷であると同時に、実は大切なアイデンティティでもあったはず。
ある意味で、サーズデーはマンデーの欲していたものを無意識的にも奪っていたのです。彼女たちの対決は、このように様々に暗示されています。
対決の末路から見えること
ごめん 私のせいで指を失くしてさ
そもそも私のヘマなのに 戻ってやりなおせたらいいけど引用:セブン・シスターズ/配給会社: コピアポア・フィルム
対決時のサーズデーのセリフに、マンデーは言葉を失います。
肉親なのに、同じ時間を過ごしてきたのに、ここまで二人は本音で話し合ってこなかったのです。そして迎えるのは辛い結末。