ゾンビ化してない人間を見つけると集団で襲いかかります。
子供らしさを残したゾンビたちは、大人を一瞬躊躇させる無邪気な恐怖で世界を満たしていくのです。
教師と生徒の垣根は生存には不要
クリントを始めとする教師陣は、子供たちのゾンビ化を認識した瞬間から彼らを敵とみなして行動します。
救いの手を差し伸べることはせず、自分たちの身を守ることを第一に暴力で撃退する。
教師にはあるまじき行為です。
何故彼らはゾンビ化した子供たちを瞬時に敵と認識し、暴力で撃退したのでしょうか。
教師としての志が低いメンバー
クリントを始めとした生存者は教師としては志が低い一風変わったメンバーばかり。
脳に障害を抱えたダグに小説家崩れのクリント。ウェイドにおいてはグラウンドでの異変にも気づかなかったほどです。
唯一、教師として生きているルーシー(アリソン・ピル)だけが、逃げる中でも子供の変化に気づき数名の生徒を救出していました。
子供と見ただけで撃退しようとするメンバーは、心の底から教師というわけではないのでしょう。
自分の命を第一に考えて行動できるからこそ、ゾンビ化した子供たちを瞬時に敵と認識し、暴力による撃退を選択できたのです。
意識の高い教師ほど先に死ぬ
グラウンドで感染が拡大していくのは一瞬でした。
異変に気付いた時には、すでに1人目の教師は子供たちの餌食に…。止めに入った教師も直ぐにゾンビ生徒たちにより命を落とします。
さらに、校長代理として自分の立場を誇示するシムズ(イアン・ブレナン)もまた、用務員から連絡を受けて直ぐにグラウンドに出て死亡。
子供たちを諫めようと行動した教師は皆、すぐに哀れな肉塊へと姿を変えてしまいました。
生存本能の勝利
多くのゾンビ映画では、ゾンビ化した仲間を救おうと動く人物の姿があります。
しかし、「ゾンビスクール!」はあくまでもコメディ映画。
友情や立派な教師の姿などを捨て、自分たちの生存を第一に考えたからこそメンバーの大半が生き残れたのです。
ゾンビは自分たちの敵と判断したら、子どもの姿をしていても暴力を厭わない。
その姿こそ、ゾンビ社会を生き残るために必要な真のサバイバルの在り方なのかもしれません。
斬新なゾンビエンターテイメント
子供だけをゾンビ化するというモラルからかけ離れた演出は、さすがリー・ワネルともいえる作品です。
どこまでも人をエンターテイメントの道具として扱える彼の演出は、他に類を見ないモラルの無法地帯といえる映画を生み出しました。
子供を守らずに暴力で撃退する大人たちの行動はホラーコメディとして観なければあまりにも常識を逸脱しています。
しかし、そんな教師陣の行動が笑いを生んでいるのも事実。コミカルなパロディシーンの多さには繰り返し観たくなるような中毒性もあるのです。
暴力と笑いの限界を追求した「ゾンビスクール!」は、ゾンビを媒介とした最高のエンターテイメント映画なのはないでしょうか。