ずっと孤独な辛い道を歩んできた兄と障害者ながらも人から愛されて育ってきた弟という対照的な人生でした。
ここで二人が手を取り合うことは二人の道が重なって二人がやっと真の兄弟になれたことを意味するのです。
ジョハがどれだけ腐っても人間としての理性を保っていられたのは何より弟のお陰でしょう。
弟ジンテが居たからジョハはカナダへ行く手元資金を集められ頑張ることが出来たのです。
だから今度はそれをジョハがジンテに返していくべく頑張る番なのではないでしょうか。
毒親からの自立
二つ目にこのシーンで描かれているのはジョハとジンテの毒親からの自立でもあります。
二人の人生をずっと邪魔していたのは皮肉にも母インスクと服役中の父という二人の毒親でした。
そしてその毒親と縁が切れて自分の足で立ったときやっとジョハとジンテは大人になれたのです。
また、それまでずっと個の世界で完結していた二人の世界が広がり深くなりました。
毒親からの自立を果たすことで塞がっていたものが漸く見えてくるようになったことを意味しています。
快方に向かう未来
三つ目が恐らく快方に向かう未来への暗示ではないでしょうか。
二人ともそれぞれにジョハがボクサーとして、そしてジンテがピアニストとしての未来を目指します。
ですが、それぞれに険しい道であったとしても二人を遮る毒親も居ないし一人でもありません。
ジョハも終盤に来て決意が固まると前半に見受けられた危うさや脆さの影も鳴りを潜めました。
またジンテもピアニストとして覚醒してからは自分一人でも歩ける強さを手にしています。
二人が本当の自分を目指す旅はここから始まる、それがこのシーンの醍醐味でしょう。
ジンテの求心力
本作はジョハやガユルが特にそうですが、障害者のジンテを求心力として挫折から立ち直っていきます。
ジョハもガユルも突出した才能を持ちながらも一度はそのトップの座から引きずり降ろされました。
そして落ちるところまで落ちながらも尚ジンテのピアノの才能がもたらした光で徐々に立ち直ります。
障害者である筈のジンテが公園でピアノを演奏すればそれだけで人々を集められる力があるのです。
そして何より心のそこからピアノに対して無邪気かつ純粋に打ち込む姿があらゆる人を瞠目させます。
ジンテは正に本作における救世主のような役割を果たした天使であったのかもしれません。
環境と関わる人で人生は変わる
こうして見ていくと本作が示したのは環境と関わる人で人生は大きく変わるということでしょう。
ジョハもジンテもずっと毒親に阻まれ続けてきたことが上手く行かない原因だったのです。
そんな兄弟の人生はガユルと関わりはじめてからはどんどん好転していきます。
歯を食いしばって諦めず頑張り続けた兄弟は最後にいい環境と人を手に出来たのです。
そこに障害がどうとか職業がどうとかいうことは全く関係ありません。
決して綺麗ではないけど前向きで泥臭い見事な人間讃歌の物語として本作は残り続けるでしょう。