ここから考えると、鳥飼は被害者家族としての復讐だけではなく、ミスを隠蔽する警察組織の闇を公にすべく、事件の再現を思いついたと考えられます。
ラストの写真に隠された意味とは?
劇場版『踊る大捜査線』シリーズのファイナルでもある本作では、エンドロールにも様々な考察がされてきました。
ここでは、ラストのエンドロールで登場した写真に隠された意味について考察していきます。
シリーズ全体のプレイバック
劇場版『踊る大捜査線』シリーズのエンドロールは、どの作品も作中の名シーンや後日の様子が垣間見えるような写真が登場しています。
しかし本作のエンドロールでは、作中のシーンだけでなく、過去の劇場版作品やドラマ版・各登場人物に関するシーンなども登場しているのです。
ここから考えると、本作のエンドロールは『踊る大捜査線』シリーズ全体のプレイバックさせる役割を持っていると考えられます。
また、登場人物1人ひとりに関する写真は、演劇におけるカーテンコールのような役割を持っているのでしょう。
写真を通して、登場人物のこれまでの活躍を振り返り、ファンが思い出話に花を咲かせられるようにという、本広克行監督の粋な計らいと考えられます。
シリーズが終わるという喪失感の表現
ラストには、本作の序盤で描かれていた張り込み捜査に参加する青島とすみれが、からあげ屋の夫婦として生活していた頃の写真が登場しました。
この写真は、青島とすみれの未来を表すものであるとともに『踊る大捜査線』の完結に対する視聴者の喪失感を強める意味を持つと考えられます。
また写真で、シリーズの主役である青島・すみれの2人がコマ送りで敬礼しているのも、名残惜しさを感じさせるための演出と考えられるでしょう。
これまでの『踊る大捜査線』を楽しんでくれた視聴者に対する感謝を、湾岸署を代表する2人が敬礼という、警察官らしいポーズで表しているのです。
「新たなる希望」とは何だったのか?
本作のサブタイトルでもある「新たなる希望」ですが、作中でこのサブタイトルに関する内容は一切語られていません。
ここでは、サブタイトルである「新たなる希望」の意味について考察していきましょう。
警察組織の改革
少女誘拐事件に関する事件と、鳥飼が公開した告発文をきっかけに、映画のラストでは警察庁を含めた上層部の闇がマスコミを通して公になりました。
事件に関わった警察官の辞職・逮捕だけでなく、警察組織の見直しも避けられないでしょう。
そのため、サブタイトルはいつか訪れるであろう警察組織の改革によって、新しい警察組織による希望ある未来を示唆していると考えられます。
青島が後にリーダーとなることの示唆
またドラマ版では、ごく普通の所轄の警察官であった青島ですが、最終作となる本作では、刑事課強行犯係係長にまで成長しています。
ここから考えると、現場で様々な事件の解決で実績を積んできた青島が、後に多くの警察官を束ねるリーダーとなる可能性も多いに考えられるでしょう。
つまり「新たなる希望」とは、青島がリーダーとなることで、警察組織に新しい希望の光をもたらしてくれるという意味を持っているとも考えられます。
本作がシリーズ最後となる理由とは?
『踊る大捜査線』シリーズは、多くのファンと豪華俳優陣を揃えた超大作ですが、なぜ本作で最後となったのでしょうか。
完結となった理由については、青島というアウトローな存在の劣化が考えられます。
主人公の青島はこれまで下っ端の警察官という立場であり、室井をはじめとした様々な上司と対立しながらも、己の信念や考え方を貫いてきました。
何の権力を持たない「下っ端」であるがゆえに、視聴者により近い立場で、警察組織の理不尽さに対してまっすぐメスを入れられる人物といえます。
しかし本作では、刑事課強行犯係係長に昇進しておいるだけでなく、ビールの誤発注というミスにおいて、初めて自身の立場を考えて隠蔽をしました。
これまで不都合なことを隠蔽する警察官に対し言及してきた青島が、保身のために隠蔽したとなると、上層部と同じ末路になるとも考えられるでしょう。
上層部の人間と同じ行動をするようになった青島では、これまでの作品のように、警察官に対して真っ向から対立することはできないと考えられます。
まとめ
『踊る大捜査線 THE FINAL』は、劇場版『踊る大捜査線』シリーズの最終作であり、過去作品を知っていればより理解が深まる小ネタも存在します。