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映画『ピアッシング』は2019年公開の村上龍原作のスリラー映画作品です。
ニコラス・ペッシェ監督の下クリストファー・アボットとミア・ワシコウスカの演技合戦が見所になっています。
インテリアやポケベルが登場する所など、時代は恐らく80年代を想定しているのではないでしょうか。
ストーリーは狂気と欲望に塗れたリードとSM嬢ジャッキーのホテルでの邂逅から全てが始まります。
異常な性癖を己の内に抱えた男と女のスリリングな駆け引きは予想もつかない方向へ発展していくのです。
今回はラストでリードが発した先に食事をとるといった意味をじっくり考察していきましょう。
また、ジャッキーが語る記念日の意味や思い切り顔を殴れば一緒にいられるという理由も併せて読み解きます。
偽りの自分と本当の自分
本作は表向き異常な犯罪者の心理を、二人の男女を通して描いたスリラー作品となっていますが、本質は凄く普遍的な物語です。
リードとジャッキーの二人を通して語られるのは「偽りの自分」と「本当の自分」という哲学的な部分にあります。
アイスピックで人を刺したい衝動に駆られたリードと常々自分を傷つけないと気が済まないジャッキー。
どちらも内面に暴力への衝動性を抱えていますが、この二人はそれぞれにタイプの違う「偽りの自分」です。
その「偽りの自分」同士が本音を曝け出してぶつかり合い、そこから新たな答えが生まれる図式になっています。
いってみればリードがテーゼ、ジャッキーがアンチテーゼ、そしてラストの答えがジンテーゼという弁証法です。
そのラストで語られるジンテーゼ=本当の自分に注目して考察していきましょう。
先に食事をとる意味
まず本作で注目すべきはラストでリードが提案し先に食事を取る意味です。
そこに至る流れとして彼は睡眠薬を盛られ、ベッドに縛り付けられアイスピックで頬と耳に傷をつけられました。
そんなことをしでかす危険な女性ジャッキーと食事を取るといいだしたのですから何かあるのでしょう。
果たしてこのラストシーンにはどのような意味があるのでしょうか?
本当の自分に戻る
一つ目の意味はリードが「偽りの自分」から解放されて「本当の自分」に戻ったということです。
彼はジャッキーを殺す方法を考えノートにメモまでしてシミュレーションまでしながら全然上手くいきません。
それは結局の所頭で考えて何とかしようとするからであり、ジャッキーを殺すことは本心ではないのです。
人間頭で考えたことは嘘をつきますが心から感じたことは一切嘘をつかず、体は正直に反応します。
本当に殺されるかもしれない生命の危機に瀕してリードはやっと本当の自分に戻れたのでしょう。
どこか気負っていたリードの顔から不思議と憑き物が落ちたようで、この表情が全てを物語っています。
「殺し」から「興味」の対象へ
二つ目がリードの中でジャッキーが「殺し」から「興味」の対象として変化したことです。
そもそも彼がSMの蛮行に走ろうとした理由は妻と息子を殺人の衝動に巻き込みたくないからでした。
しかし、ジャッキーはそんな彼の内面を知って驚くどころか寧ろより怖い狂気で返してきたのです。
つまり自分の本性を知ってもそれを驚くことなく受け入れ、更に相手も本性を見せてくれました。
だからこそリードはジャッキーに対して興味を抱き始めたのではないでしょうか。
コミュニケーション
三つ目はもっと単純に食事自体が一つのコミュニケーションであると考えられます。
男女のコミュニケーションというと肉体関係やオーラルコミュニケーションが想像されるでしょう。