しかしデートの食事シーンもまたお互いの雰囲気や関係性を構築するコミュニケーションの手段です。
そう、詰まるところリードがジャッキーに提案する「食事」とはデートを意味しています。
辿る順序こそ真逆で歪でしたが、二人はこのシーンでフラットな男女の関係になったのです。
「愛」へ
そしてこのラストシーン最大の意味、。それは二人の関係が「愛」へと変わったことです。
これこそが上述したテーゼとアンチテーゼがぶつかり合った末のジンテーゼの中身となります。
同じ殺人の衝動を抱えた男女がその狂気をぶつけ合った末の対消滅で愛が芽生えてしまったのです。
詳細は描かれていませんが、リードもジャッキーもお互いを殺すつもりはなかったのでしょう。
二人は世間には理解されない衝動を抱えている自分が何より怖くて辛くて寂しかったのです。
そんな二人が互いの内面を見せても嫌ったりせずに受け入れられたのは初めてではないでしょうか。
だからこそ、このラストシーンはそこまでの流れから一転してのハッピーエンドといえます。
何の記念日か?
ラストシーンに至る前にジャッキーは縛られて喋れないリードに「記念日になる」と口にします。
果たして何の記念日でしょうか?ラストシーンを踏まえながら意味を考察していきましょう。
「愛」が始まった日
一つ目がリードとジャッキーの「愛」が始まった日という意味ではないでしょうか。
やや歪んだSMプレーも兼ねて、二人は単なるお客様と娼婦の関係を超えたのです。
一夜でここまでお互いの素を曝け出したことも含め忘れられない体験となったことでしょう。
逆にいえばもう後戻り出来ない関係へと深入りしてしまったことになるのですが…。
奴隷
二つ目にジャッキーがリード専用の奴隷に成り下がったことを意味するのではないでしょうか。
彼女はこの台詞と共に自ら乳首にピアスをしていますが、単なるお客様と娼婦ならこんなことはしません。
これはジャッキーがリードになら初めて自分の性癖を奥底まで見せられると思ったのではないでしょうか。
SM嬢でやっていたことがいつの間にか職業病といえるレベルにまで彼女の中に染みついていたのです。
猿ぐつわをリードにはめたことも含め、公私共に二人が性的関係を今後も持ち続けることを意味します。
リードの家庭を壊した
そして三つ目が本来であればこういう関係になってはいけないリードの家庭を壊した記念日です。
忘れてはならないのはリードが元々優しい奥さんと子供が居る円満な家庭を持っていたこと。
そんな彼の家庭を想定外の形とはいえ彼女は壊してしまったのです。
だから二人の関係が深みにはまればはまるほどそれは背徳さを増していく構造になっています。
どれだけ深い関係になろうと、それはリードに家庭を捨てさせる代償と引き換えのことでした。
そういうマイナス面も含めて彼女は記念日といったのではないでしょうか。
思い切り顔を殴れば一緒にいられる理由
自傷を続けるジャッキーを病院に連れて行った帰り、彼女はリードに自分の願望を口にします。
あなたの顔を殴りたい、平手打ちじゃなくて思いっきり。そうすれば一緒にいられる
引用:ピアッシング/配給会社:パルコ
サイコパスとしか思えない発言ですが、何故彼女はこんなことを口走ったのでしょうか?
あらすじを振り返りながら改めてその理由を掘り下げていきます。
左右極限を知らねば中道に入れず
対消滅の話でいえばこの台詞は「左右極限を知らねば中道に入れず」という意味でしょう。
仏教の言葉ですが、ジャッキーはあくまでもリードと一緒に居たいのです。