それは次のやり取りから窺えます。
彩子「主人の最後の企画、一緒に叶えてもらえませんか。振りでいいんです。あの人に後悔してもらいたくないんです」
正蔵「あれは驚いたな。僕は再婚相手の役、上手く演じられていましたか?」
彩子「ええ、大変お上手でした」引用:ボクの妻と結婚してください。/配給会社:東宝
そう、自分達の意志を無視して再婚を押しつけた修治への意趣返しだったのです。
放送作家として自分の人生すら笑いのタネにする人なら正論で止まるわけがありません。
だからこそ思い切って乗っかった振りをして修治を騙す方向へ行ったのではないでしょうか。
原田泰造さんと吉田羊さんの演技力の高さというメタ的な意味でも非常に面白いやり取りです。
週刊誌の裏側の真相
そしてこのネタにはもう一つ面白い裏があり、何と彩子は週刊誌の熱愛報道の日に正蔵に遭っていました。
もし週刊誌がこの裏まで完璧に押さえていたらお騒がせな不倫夫婦ということになっていたでしょう。
こんな手の込んだことを仕組んでいる辺り、彩子も修治の破天荒ぶりに影響を受けていたことが窺えます。
やっぱり何だかんだ似た者同士の夫婦であったからこそ、夫婦仲も続いたのではないでしょうか。
陰と陽
こうして見ると、週刊誌の作戦とお見合い作戦が陰と陽で対になっていることが分かります。
即ち一度週刊誌の浮気ネタを見せることでこの再婚の偽装を明るく見せることが出来たのです。
もしこれがどちらか片方だけだとシーンとして成立しなかったでしょう。
週刊誌の浮気ネタだけでは修治が最低な男に見えかねず、再婚の偽装だけだと正蔵と彩子が最低に見えかねません。
非常に際どいブラックジョークレベルのネタをセットに出すことでバランスが上手く取れるのです。
この構成上の美こそが何よりも本作最大の美しさではないでしょうか。
人生楽しんだもの勝ち
ここまで考察してきて、不思議なのは悪辣に見えた三村修治が段々面白い人に見えてくることです。
膵臓癌で余命半年という重たい事実を事実として描くと途端に同情的な話になりかねません。
まして日本は悲劇や苦労話が大好きな民族でなので、余計にそういうものを求める風潮があります。
そんな風潮を本作は修治の天才故の破天荒さで否定しつつ、同時に周りを何だかんだ楽しくさせました。
無茶苦茶で自分勝手な我が儘で、でも最期まで楽しくあることを忘れずに生き続けた男・三村修治。
彼の姿は「人生楽しんだもの勝ち」という言葉を地で行ったのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は余命宣告を受ける人の死ぬまでを描いた作品として見ると異彩を放っています。
それは病気や余命宣告による死が本来は当たり前の日常であることを示すためでしょう。
どんな人間だって病気であろうが何だろうが、生きている限り死からは逃れられません。
戦争・災害での死も病死も事故死も自殺も殺人も形は違えど等しく「死」なのです。
それを嘆き悲しむのではなく前向きに楽しんで生きるという人生もあるのではないか。
そんな生き方をかなりエキセントリックに描いてみせた、実に鋭い示唆に富んだ作品でした。