本作では1作目・2作目に比べるとケビンが等身大の子として描かれており、キャラも変化しています。
1作目・2作目のケビンは犯人の犯行をほぼ一人で押さえた天才児で、ラストで僅かに大人の力を借りるくらいです。
一方本作のケビンは等身大の子として描かれており、罠の仕掛け方も犯人の捕まえ方も周囲の力を借りています。
後半では和解したプレスコットと救援に駆けつけた家族達の協力の下にマーブ達を捕まえました。
このように、ケビンをパーフェクト・ヒーローにしなかったことが一つの大きな変化ではないでしょうか。
アローンだったのはピーター
また本作におけるアローン、即ち孤独だったのはケビンよりも寧ろピーターの方ではないでしょうか。
ケビンも確かに孤独は感じていましたが、周囲の力や助けを素直に借りることが出来る為孤独ではありません。
一方のピーターはナタリーの性格に嫌気が差しており、熱を愛と勘違いして寂しい想いをしていました。
だからこそケビンだけでなくケイト達も駆けつけてくれた時は誰よりも嬉しかったのです。
そのように見ていくと本作は子供よりも寧ろ大人の方が孤独さを感じていると推測されます。
犯罪でしか繋がれないマーブ一家
そしてもう1つ、心で繋がっているピーターとケイトと対照的だったのがマーブとベラでした。
この2人は服役中に出会い犯罪者同士で結託し、しかもマーブはハリーを損切りしていたのです。
同じ夫婦でも利害関係によってしか繋がれなかったマーブとベラ、そしてモリーの関係は冷め切っています。
だからこそラストで家族の絆を取り戻したマカリスター家に勝つことは出来ず、逮捕されました。
マカリスター家が絆を再生させたのとは対照的にマーブ一家は繋がりを壊されたのです。
非常に綺麗な形で家族の絆が対比されたことで、マカリスター家再生の物語が自然なものとなっています。
マカリスター家の物語の終焉
本作は初期2作品がやらなかった「マカリスター家の物語」の終焉に相応しい作品となりました。
ケビンの物語という「個」の物語からより拡張された「多」の物語となっているのです。
だからこそ本作では「個」の要素がナタリー邸やマーブ達に集約されています。
このように見ると本作の真の悪は「孤独」にあったといえるのはないでしょうか。
それがケビン達一家を元通りにする最大の動機にもなっており、見事に描ききりました。
本作をもってマカリスター家の物語は一つの完成・完結を迎えたといえるでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は初期2作品に比べるとパニック映画よりは寧ろヒューマンドラマ映画の趣が強いでしょう。
これはパニック要素自体がもはや当たり前になり、差別化を図ることが難しくなったからです。
そしてまた、家族のあり方自体も昔に比べて絆が薄れており絶対のものとはいえなくなっています。
だからこそ敢えて不完全なマカリスター家を描き、そこから事件を通して再生していく構造なのです。
ケビンのキャラの造形もそうした時代性に伴う変化として象徴的でした。