しかも感想を述べるときにも「(排泄が)漏れそうだった」と下品さ全開の発言です。
ヴィヴィアンは見た目こそ綺麗で天真爛漫ですが、中身は良くも悪くも変態でしょう。
普通だったらこんなこと恥ずかしくていえませんが、彼女はこういうことが軽々と出来てしまうのです。
そうした飾らない自然体の良さが表現されているのではないでしょうか。
感受性が豊かである
ヴィヴィアンは決してオペラに深い造詣があるわけでも、大人の楽しみ方ができるわけでもありません。
しかしながら、オペラの演出・音楽に素直に泣いてしまえる感受性を持ち合わせているのです。
正にこれまで述べてきた子供の無邪気さが最大限に出ているシーンでしょう。
「体は売っても心は売り渡さない」と豪語するだけあって、何にも囚われない程心が綺麗です。
そういう感受性の豊かさを大人になってもなくしていないことがエドワードの心を動かしています。
結末への伏線
そして3つ目にこのオペラ鑑賞自体が結末への伏線になっているのです。
このオペラ鑑賞で浮き彫りになったのはそうした純粋で天真爛漫なヴィヴィアンの一面でした。
その一面を間近で見ていたからこそ、エドワードは彼女の求めるものがロマンだと気付いたのです。
エドワードは上記したように仕事が出来る反面相手の気持ちを切り捨てる容赦ない面がありました。
その容赦無さが時としてヴィヴィアンを傷つけ怒らせることに繋がっているのです。
しかしこのワンシーンがあったことでエドワードは彼女の本質を理解するきっかけを貰えました。
オペラ鑑賞なくしてラストのハッピーエンドは有り得なかったでしょう。
環境×人材
改めて考察してみると、人生は環境×人材という組み合わせで決まってくることが分かります。
エドワードもビビアンもそれぞれに素晴らしい長所と同時に欠点もありました。
エドワードに欠けていたのは人材、そしてヴィヴィアンに欠けていたのは環境です。
人は自身を囲む環境には勝てないし、また環境が良くても人材に恵まれないと輝けません。
お互いに足りないものを掛け合わせていくことで2人の人生は見事に輝き出しました。
本作が単なるラブロマンスを描いただけに終わってないのはこの本質をしっかり描いていたからです。
絵空事のような現実
本作のような絵空事のような現実は実際にあるのです。
ネット副業などでビジネスを手軽に始められる昨今誰にでもその可能性はあります。
世の中が不安定になってきて今どんな働き方・生き方がいいのかさえ不明確な現代社会。
しかし、そんな現代社会においてこそ本作のような作品が必要ではないでしょうか。
自分の勇気と関わる人と環境さえあれば人生を変えることは出来るのです。
そんな可能性をラブロマンスも含めつつ見せてくれる時代や国を超えた傑作でありましょう。