カタカナ表記は大体「ゴールド」「バランス」などのように外来語の表記として使われます。
これは漢字・ひらがなという日本語表記と外来語を明確に区別する便宜的なものです。
そう見ていくと小山はるかは備前焼という狭い世界へ外側からやって来た現代人=外来人といえます。
同時に彼女の存在が外側の世間一般と伝統工芸の世界を繋ぐ架け橋でもあるということでしょう。
原作者がかつてカタカナ名義だった
作品とはやや離れますが、原作者の西崎泰正はかつてマエダフトシ名義で成人漫画を描いてました。
それが『士魂の風』以降本名で活動するようになり、その名残があるのではないでしょうか。
それを踏まえてカタカナ表記=見習い・半人前でひらがな・漢字表記=一人前という見方も出来ます。
つまり小山はるかが見習い・半人前であることの証としてカタカナ表記にしているのでしょう。
彼女が一人前になっていくことの願いも込めてカタカナ表記にしていることが窺えます。
今風の作品に出来る
そして3つ目に伝統工芸という現代人に馴染みのない題材のものを今風の作品に印象づけられるからです。
カタカナ表記は外来語であっても日本語であってもそれ一つで印象に残ります。
例えば「ケータイ小説」を「携帯小説」とするのはその方が若者受けがいいからです。
若者言葉でも「粋がる」という言葉を「イキる」という言葉で表現するなどがあります。
このような印象を残し受け手を惹きつける魅力的な表記になるのでカタカナ表記が用いられているのです。
そのお陰で実際に本作は備前焼を改めて再認識させる作品となりました。
師匠もまた弟子に教えられる
本作ははるかの成長だけではなく、はるかとの交流を通して師匠の修もまた自分の殻を破って成長します。
ここが本作のとても素晴らしい所で、師匠も決して完璧ではなくあくまで人間の一人と表現されているのです。
父の死で仲間たちからの裏切りに遭った修ははるかとの交流の中で、祖父の陶人からこう忠告されます。
人と関わることでしか、人は成長できない
引用:ハルカの陶/配給会社:ブロードメディア・スタジオ
そう、本作が重きを置いたのは備前焼そのもの以上に備前焼を通した人と人との関わり・繋がりです。
そして決して弟子が教わるだけではなく師匠もまた弟子に教わってより高みを目指していきます。
だから本作は修の成長物語、もっといえばはるかと修の二人三脚の成長物語ではないでしょうか。
好きを極めて仕事にする
本作は特に仕事のことで悩んでいる現代の若者こそ見るべき作品ではないでしょうか。
OLの仕事を義務感で続けていた時のはるかと備前焼の見習いとして働く時のはるかはまるで違います。
これは即ちどんな人にもその人だけの輝ける分野・活躍出来る分野があるということです。
好きを仕事にするのは難しいといわれますが、それはその「好き」が中途半端だからではないでしょうか。
一流の人達はどんな分野であれその「好き」をとことんまで極めて突き抜けて一流になっています。
勿論その過程で辛いこと・苦しいことも沢山ありますが、それでも尚好きといえるのが本当の「好き」なのです。
安定しているが中途半端に好きじゃない仕事を続けるより厳しく辛くてもやりがいをもって感じられる仕事。