そのような小説を書いた意図を考察していきましょう。
自己顕示欲
1つ目に4人の中にあったのは如何に自分を美しく格好良く見せるかという自己顕示欲です。
それぞれが自分を主人公に置くことで都合のいい空想の世界に逃げていたといえます。
ましてや今回いつみの死という重たい事実がその本性を加速させていたのではないでしょうか。
人間誰しもが追い詰められた時に本性が現われ、そこに最も「その人らしさ」が出ます。
小説の朗読という形で4人は図らずも自己顕示欲の塊であるという馬脚を現しました。
暗黒から逃れるため
2つ目に自分を主人公に置いて正当化することで暗黒面から逃れようとしたのではないでしょうか。
4人の物語はまるで辻褄が合わず、小百合が読み上げたいつみの小説で暗黒面を指摘されています。
内容は美礼の援助交際・あかねは家に放火・ディアナは姉妹を殺害・志夜は盗作とおぞましいものです。
いつみの駆け落ちのみならず4人共それぞれに裏で犯罪行為をしていたことが明らかとなります。
その自身の弱さ・醜さから逃れるためにその鬱積を他のメンバーにぶつけたのでしょう。
ネットの誹謗中傷のメタファー
そしてもう1つ、この構造はそのまま現実世界におけるネットの誹謗中傷のメタファーといえます。
4人が小説の朗読会でやっていることはネットで目立つ匿名の誹謗中傷と然程変わりません。
即ち現実世界が上手く行かないことのストレス発散を小説を通じて行ってしまう形です。
現代人は良い子の仮面を被って他人を攻撃する癖がついてしまっているということでしょう。
いつみも含めて現代に生きる人々の怖さや歪みが非常に見て取れる朗読会です。
善人の振りをした悪人達
考察を重ねていくと、本作は北條先生も含めて「善人の振りをした悪人達」の物語だといえます。
いつみをはじめ文学サークルの人たちは全員良い子の面を被って裏でとんだ悪さをしていました。
そして押さえ役として4人を懲らしめるかと思われた小百合こそ実は1番の悪人だったのです。
しかし、冒頭でも書いたようにこれは決して画面の向こう側のフィクションではありません。
今は誰しもがこうやって簡単に言葉で人を攻撃し貶めることが出来てしまうのです。
そしてそういう人たちは表向き笑顔を装ってそっと傍に近寄ってきて、人生を破壊します。
もしかしたら、受け手の直ぐ傍に白石いつみや澄川小百合は傍にいるかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
本作は内容が非常にドロドロしていることから、万人受けや共感は得られにくいでしょう。
しかし奥底では現代社会の持つ人の怖さや繋がりの希薄さなど非常に普遍的なことを描いています。
世の中優等生と呼ばれる人程実は裏で悪いことをしているかもしれないし、逆も然りです。
善人か悪人かを見た目などで判断せずしっかり中身で見極める目を持つことの大切さ。
異色のアプローチながらメッセージは非常に真っ当なことを伝えてくれる良質な作品でした。