安田への裏切りと併せて不義理を働かれたと思ったとしても不思議ではないでしょう。

狂気に飲まれる怖さ

3つ目に野生化していく永松と安田の狂気に飲まれるのが怖かったのではないでしょうか。

これだけの極限状態に追い込まれたからこそ田村は日常の有難味を相対化出来たのです。

永松や安田の姿は決して彼らが特別なのではなく、自分もそうなるかもしれないと映ったのでしょう。

同時にここで理性をもって銃で永松を射殺したことで田村は人間として踏みとどまりました

それ程に理性が強い大人の人が田村だったのでしょう。

ラストの野火の存在

野火(新潮文庫)

永松を射殺した田村は最後野火の方向から銃撃され死亡してしまいます。

果たして彼が向かおうとしていた野火の存在は何を意味するのでしょうか?

意味深に残されたラストカットを考察していきましょう。

戦火

戦火のシンフォニー―レニングラード封鎖345日目の真実―

1つ目にはまず「戦火」という意味が考えられます。

ここで本作が「戦争」という舞台である意味が必然性をもって浮き彫りとなるのです。

田村が向かった先に居たのは果たして日本兵か米軍兵かは分かりません。

しかし、どちらにしてもこの段階では敵味方の区別が出来ていないのです。

そんな段階で迂闊に近づけばそれは敵のテリトリーに入ることを意味します。

つまり田村は最後の最後で緊張を解いてしまい殺されたわけです。

戦争は終わっていない

2つ目に島での戦いがまだ終わりを告げていないという意味です。

火というのはそれ自体で災いや戦いを象徴する攻撃性の強いものです。

だから永松と安田を射殺しても尚まだこの戦いは終わっていません。

少なくとも戦争終結が宣言され日本に戻るまで田村は気を抜いてはいけないのです。

ここで普通の暮らしへの憧れが雑念として邪魔していまい、彼は負けてしまいます。

火事場で日頃の礼儀を守っていては焼け死ぬ

3つ目に火事場で日頃の礼儀を守っていては焼け死ぬことを意味します。

どんなに避難訓練などを施しても、いざその状況になると冷静さを欠いて何も出来ません

何故ならば火事場や災害、戦争などは刻一刻と状況が変化していくからです。

こういう所で日頃の礼儀や身につけた習慣など守っていても役に立たず死んでしまいます。

火事場においては他人の身よりも自分の身を守ることが大切だと教えているのでしょう。

極限状態で露呈された人間の心理

極限状態の心理学 無人島で人はどんな行動に出るのか?

本作は田村と永松、そして安田の3者を中心に極限状態の人間の心理が描かれます。

その極限状態の結果がラストの悲惨な結末を生み出すことになりました。

ここでは改めて3者の関係を通して見えてくる人間の心理を見ていきましょう。

敵味方の区別がつかなくなる

まず1つ目に敵味方の区別がつかなくなるということが挙げられます。

極限状態に追い込まれて永松と安田は味方なのに足の引っ張り合いを始めるのです。

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