この『埴生の宿』は元々イングランドで出来た『ホーム・スイート・ホーム』が原型です。
日本軍と英国軍の無益な戦いを避けるための平和への願いが籠もった曲になっています。
また何よりも日英の両軍に攻め入られながらも責めないビルマの国民達の温かさおのお陰でしょう。
音楽は国や時代を超えて人々の心を癒やし、敵対する者同士を握手させる力があるのです。
まずこの『埴生の宿』では幾分肯定的なニュアンスを意味します。
『仰げば尊し』は別れの曲
しかし、終盤で水島が奏でる『仰げば尊し』は井上達日本軍との別れの曲として切なく響きます。
卒業式は勿論のこと別れの歌として象徴的に用いられることが多いでしょう。
これこそ音楽が持つもう1つの顔であり、別れという後ろ向きのイメージもまたあるのです。
水島と井上隊長達の別れとして用いられる竪琴はどこかもの悲しく見えます。
『埴生の宿』とは対照的に暗さを伴うやや否定的なニュアンスを意味するのです。
水島の心の移り変わり
そしてこれら2曲の竪琴が奏でる音楽は物語全体を通して水島の心の移り変わりを意味します。
負けと分かっていながらも明るい愛国心に溢れた水島の心はどんどん孤独へ向かっていくのです。
最初は日本軍の中に居て英国軍の人たちと和平まで出来たのに、次第に現実に裏切られていきます。
そして僧侶として1人険しい茨の道を歩み始めた時に水島の心は日本軍から離れていきました。
本人にもどうしようもない時と環境の変化、そして運が総合的に絡み合ってのことです。
ビルマの竪琴とは何よりも水島上等兵自身の心を指しているのではないでしょうか。
魂の使命を見つける物語
本作は反戦映画というより水島上等兵が「魂の使命」を見つける物語だったのではないでしょうか。
敗北へ向かっていく中で戦いに意味を見出せず迷った水島は自分が何を求めているのかで迷うのです。
その迷いの中で自分自身が奥底から求める使命、なすべきこと…それが僧侶として生きることでした。
時代的な背景が強いのに全く古びない普遍性は人生の本質を突く寓話的構造から来るのでしょう。
しかしその魂が求める使命は何も難しいものではなく、自分の潜在意識の中に答えがあります。
だからこそ気高く美しいながらも同時に儚く切ない物語となったのです。
誰にでも魂の使命はある
いかがでしたでしょうか?
本作は戦争映画というよりも戦争映画を題材に魂の使命を見つけて旅立つ寓話でした。
魂の使命というとオカルトだとか宗教だとか胡散臭く、また高尚なものだと思われがちです。
しかし魂の使命とは複雑なものではなくシンプルに自分の心の声と向き合うことにあります。
誰にでも魂の使命はありますが、多くの人はそれに気付かないまま終わってしまうのです。
それで本当にいいのかということを苦悩・葛藤しながら受け手に考えさせる物語。